苦難は、神様からのプレゼントにかけられたリボン | 保育・食育のプロ 長野眞弓さんからのアドバイス

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保育・食育のプロ 長野眞弓さんからのアドバイス

2019.02.13

苦難は、神様からのプレゼントにかけられたリボン

皆さんには、今それぞれに悩みや苦難があると思います。

苦難がなければ、人と人が繋がらないって考えた事ありますか?

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1880年6月27日に生まれたヘレンケラーは、
2歳のときに高熱にかかり、一命はとりとめたものの、
聴力、視力、言葉を失い、話すこともできなくなります。

家庭教師として派遣されたアン・サリバンは、
幼少の頃に弱視だった自分の経験を生かして
ヘレン・ケラーにしつけ、指文字、言葉を教え、
ついにヘレン・ケラーは話せるようになりました。

その後、ヘレンケラーは、サリバンと共に
有名大学に特別な待遇無しで学び、
5カ国後を理解するまでにもなりました。
沢山の本を出し、世界中を講演し
視覚障害の方々のための活動や世界平和、
貧困救済に勤めました。

そんなヘレンケラーが日本に来た時の事。
神様がどのようにしてヘレンケラーを、
支え守られたのかが証されています。

翌1937年、日本語の点字を考案した
盲目の社会実業家・岩橋武夫(ライトハウス館長)
からの来日要請を受け、
4月に横浜港へポリーと到着しました。

残念なことに横浜港の待合室でヘレンは財布を
盗まれてしまったのです。

この事件が報道されると、日本全国から見舞金が
寄せられ、4カ月後にヘレンが日本を離れる頃には
盗難された金額の10倍以上が集まっていました。

神様のご計画は、一見不幸だとか、
ついてないなあと思う事の先に、
思いがけない恵みが用意されているのです。

ヘレンケラーは、三重苦の先に、サリバンという
かけがえのない恩師との人生を与えられました。
又、世界史に残るほど沢山の方々の尊敬と支援を
得られました。

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私の人生を振り返りましても、
苦難の先に得られた物が沢山ありました。

私の場合は、幼児期に二回熱湯をかぶり、
全身ケロイドだらけだからこそ、
虐め差別に耐え不屈の精神と情熱を育むことが出来た。

またそれでも結婚してくれるという深い愛に出会えた。

9歳で母が突然いなくなり
その後ずっと会えていないからこそ
保育士になりました。
お母さんに会えない苦しみが解るから、
お母さんの代わりに支えてくれた沢山の方々がいてくれたから。

精神的に病んでいた家族がいたから、
心理学を深く学んだ。
いまでは、人に教えることが出来るようになった。

娘が重いアトピーだったから、
食育を学び実践した。
いまでは沢山のお子さんの改善に役立つ者となれた!

保育園の裏側の醜さに出会ったからこそ、
自分で保育園を創りたいと言うモチベーションが与えられた。

保育園が貧しくて経営が困難だったからこそ、
保護者と深い絆で結ばれた。

また、経営を深く学び、ネガティヴな考え方を捨てることが出来た!
今では経営と言う仕事が大好きになった!

苦難は、神様からのプレゼントにかけられたリボンのようなもの。

苦難から逃げないで、丁寧にほどいていくと
その奥に素晴らしいプレゼントが用意されているのです!

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最後にヘレンケラーの名言をご紹介させていただきます。


「幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。
しかし、私たちは閉じた扉ばかり見ているために、
せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです」


「不幸のどん底にいるときこそ、信じてほしい。
世の中にはあなたにできることがある、ということを。
どん底を生きたからこそ、
他人の苦痛を和らげることができるならば、
あなたの人生の試練は無駄ではないのです」


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