自己愛を推奨することへの疑問 | 選択理論心理学・柿谷先生のコラム

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選択理論心理学・柿谷先生のコラム

2020.02.03

自己愛を推奨することへの疑問

随分昔のことになる。米国でカウンセリング心理学を学んでいたとき、多くの人が「自己愛」を推奨していた。
自分を愛することができなければ人を愛することはできない、と。
また、自分を愛するとは自分を好きになることだと言われてきた。私はずっと疑問に思っていた。


人を好きという感覚はわかるが、自分を好きになった人はどんな感覚なのだろうか。
私が女性を好きになると、男性を好きになるのとは違って、ホンワカした感じになる。
しかし、自分が自分を好きになってホンワカした感じを持つとは思えない。

誰にでも、「好きな人」、「好きでない人」、「好きでも嫌いでもない人」がいるだろう。
通常これは他人に関することで、自分を好き嫌いの対象にはしていない。
自分を好きにならなければいけない理由はあるのだろうか?

「あなたの敵を愛せよ」という聖書は、あなたの敵を好きになりなさい、とは教えていない。
もし、言われていたら絶望的な感じになる。「愛する」は、「好きになる」の同意語ではない。

好きで結婚しても好きでなくなることがある。愛するとは好きでなくなっても、その人を捨てないこと、と言えるかもしれない。
好きか嫌いかは感情領域の問題で、愛するとは行為・思考領域と考えられる。敵を好きにならなくても、敵を愛することはできる。

敵が飢えているときに、食べ物を提供することは、愛の行為である。好きにならなくても可能だ。誰かが歌っている。
Love is something you do.「愛は何かをすることだ」と。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と教える聖書は、自分を愛することは、ことさら勧めなくても誰もがしている、という前提に立っている。
自分を愛することや好きになることがことさら重要なら、聖書が「自分を愛せよ」「自分を好きになれ」と教えていてもいいはずだが、そのようなことを教えてはいない。

ブロッコリーが好きでない人にブロッコリーを「好きになりなさい」はハードルが高い。しかし、「ブロッコリーを好きにならなくてもいいよ。
でも体にいいから食べなさい」と言われれば食べる人もいる。

自分を好きにならなくても良いが、「自分の価値を認めなさい」、「自分は自分でいいんだよ」と受け入れなさいと言われる方が、自分を「好きになりなさい」よりも受け入れやすい。

価値があるのは、自分は唯一無二のかけがえのない存在であるからだ。また、「好きな友人にはどんな特徴がある?」と聴き、
その人の持っている特徴(誠実、楽しい、思いやり、博学、人の悪口を言わない、等)を身につけるようにするほうが教育現場では実用的ではないか。

自己愛は辞書によるとナルシシズムと出てくる。推奨されるものではない。
「自分を愛する者」は聖書では推奨リストには入っていない。利己的な傾向の人として避けられている。
     

柿谷正期(日本選択理論心理学会会長)

(日本選択理論心理学会 ニュースレター72号より)

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