ゆりさん 028 [私の出産] | 第2回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第2回ぐるっとママ懸賞作文

ゆりさん 028 [私の出産]

私の救世主
私の人生を救ってくれてありがとう。あなたに出会えるまでのお父さんとお母さんの記録をここに記します。

 

 
私は32歳の時、第一子であるあなたを出産しました。何年後かに、娘のあなたに話す機会があるだろうか。私が闘ってきた病気と、お腹の中にやってきたあなたが救世主になってくれたお話をここに記そうと思います。

私は18歳の時にうつ病と診断されました。その後は症状や薬の副作用と闘う辛い日々が始まりました。闘病しながらの生活は、同級生と当たり前のように過ごしてきたレールからは外れ、浪人、留年、頑張って資格を取得したけれど、就職後に半年も働けず症状が悪化して退職しました。その後は、家の布団の上でほとんど動けないような毎日。睡眠薬を飲んでも眠れない長い夜が来るのが、毎晩本当に怖かった。

26歳のとき、あなたのお父さんと恋人になりました。お父さんは母子家庭で育ってきて、幼少期寂しい思いをたくさんしたこと、自分の家族を持ちたいと考えている事を私に話してくれました。私も共働きの両親とはあまり話せず過ごし、寂しい思いをしてきていて、私たちの想いは同じでした。

「自分の子が欲しい!その子には寂しい思いはさせたくない!」

けれど私達の間になかなか子どもはできませんでした。私が飲んでる薬のなかには、生理が不順になるものも含まれていました。それ以外にも病気の症状が私の身体を妊娠から遠ざけていたのだと思います。妊活して2年はとうに過ぎて、ああ自分は妊娠することが出来ないのだな。と思いながら過ごしていたある日、いつものように遅れている生理のために行った婦人科で、「妊娠しています。」とあなたのエコー写真を渡されました。急いでお父さんに連絡!「大事な話があるんだけど」と震えながら電話口で言ったら、「今何ヶ月??」と聞かれました!お父さんは全然妊娠を諦めていなかったし、私の一言で全て察してしまったようです。今でも夫婦でこの時の話しはよくしていて、笑ってしまいます。

妊娠がわかった当時、私は1回に10錠ほど飲んでいる薬でなんとか自分を保っていました。そんな私が、妊娠が分かってから薬を全て捨てて、1錠も口にしなくなったのです。婦人科の先生にはいきなり辞めるのは良くない妊婦でも飲める薬はあると言われたのですが、その時は赤ちゃんの命を少しでも薬が脅かすならゼロにしたいと思いました。
けれど薬を辞めても、私には不安な事がありました。妊娠に気づいたのは妊娠4ヶ月の時。この4ヶ月間飲み続けていた薬のせいで赤ちゃんに障害や病気があったらどうしようということです。1人でその不安を抱えきれず、お父さんに泣きながら話しました。お父さんは、「子どもに障害や病気があったら愛せないの?違うでしょ?」と私に言ってくれました。その言葉で、本当に心が軽くなりました。
その後、吐血するほどのつわりを乗り越え、2196gの小さな身体であなたは無事生まれてくれました。

私は一生大量の薬を飲み続けて、家の布団の上、動けない身体で両親に迷惑をかけながら生きていくのだと思っていました。そんな私をあなたが救ってくれたのです。うつ病は今も治療中だけれど、薬はもう飲んでいません。出産後、1時間おきに泣くあなたの泣き声で目を覚まして、まとまって眠れず、しんどい期間を過ごしたけれど、そんな眠れない夜はよく思い出していました。妊娠する前、独りで、自分の失敗や悲しかった思い出を次々思い出して、これからの自分になんの希望も持てず、叫びたいような絶望と一緒に長い長い孤独な夜をずっと過ごしていた事。あの時に比べたら、あなたがいてくれる今は何も寂しくないと。

あの長い夜から私を救いに来てくれてありがとう。あなたは私の救世主です。どうかあなたには、お父さんとお母さんとたくさんお話ししたな。寂しい思いなんてしなかった。毎日家族に囲まれて楽しかった!と振り返れる時間をプレゼントできますように。今日も一日大きな声で笑って走って赤ちゃんの時と同じ寝顔で眠るあなたの横で願います。



 
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