太田恵理子さん 090 [私の出産] | 第2回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第2回ぐるっとママ懸賞作文

太田恵理子さん 090 [私の出産]

あなたが与えてくれた使命
障害にまつわる絶望を希望に変える~ママやパパがいなくなっても、あなたが幸せに生きられる社会を目指して~

 

 
6歳になった将暉へ。
あなたの病気を告げられたのは、ママが妊娠6か月の時でした。エコーをしていた先生の手がぱたりと止まり、「紹介状を書くのですぐに大学病院を受診してください。」と言われ、私はいったい何のことを言われているのかすぐには理解できませんでした。
画面に映るのは、真っ黒になった脳の画像。  脳が、全然ない。
「水頭症です。それもかなり重度です。」「このままお腹の中で死んでしまうかもしれないし、生まれてこれても自力で息ができないかもしれません。」と言われ、涙がぽろぽろこぼれてきました。
絶望的な気持ちで診察室を出ると、外のソファで待っていた幸せそうなご夫婦であろうカップルと目が合い、泣いている私を見てぎょっとしていました。
インターネットで水頭症のことを検索をしても、出てくるのはネガティブな言葉ばかりで調べれば調べるほど滅入っていきました。
「まさか自分が?」「健康に生んであげられなくてごめんね…」
自分を責め、苦しい日々を過ごしていた中、救ってくれたのは同じ境遇のママたちでした。
ある日、インスタグラムで#水頭症と調べると、元気に過ごしているお子様を見つけることができたのです。夢中でメッセージを送り、心境を吐露し、交流を重ねていくことで次第に心が癒えていきました。
そうやって少しずつ前向きな気持ちになり、無事出産の日を迎えます。あなたが小さいながらも「ふぎゃぁ~…」と産声を上げてくれた時の気持ちは一生忘れません。
生きてる…!!!それだけで心底幸せでした。
そこから4か月間のNICU生活が始まりますが、この時が一番大変だったように思います。あなたの鳴き声で起きるのではなく、スマホのアラームで毎日3時間おきに起きて搾乳をしていました。母乳が止まればあなたは死んでしまうという強迫観念に駆られ、精神的にもつらい日々が続きました。それでも毎日2回、NICUに通ったときにあなたと会うと、「なんて愛おしいんだ」「今日も生きてくれてた」「生きてるだけで丸儲け」という気持ちになり、ただ存在していてくれるだけで有難いと思うように。この時に私の中での死生観ががらりと変わりました。自分も家族もいつどうなるか分からない。一分一秒が惜しい。やりたいことをやって、悔いなく生きたい、と。
あなたの発達を促すために、生後6か月の時からリハビリに通いました。しかし小児のリハビリをしてくれる病院が少なく、片道40分かけて通うことに。
また、児童発達支援事業所を探しますが、0歳から入れるところは全然なく、唯一見つけたところは母子同伴スタイルといって保護者の付き添いが必要なところでした。
私は毎日事業所通いとリハビリの送迎に追われ、自分の時間が全然取れないことに段々と疲弊していきます。
さらには、職場復帰を目指して保育園を探すものの、軒並み断られてしまい、仕事を辞めざえるを得なくなってしまいました。
そこで、私は「障害児を預かってくれる施設がないなら、自分で創ろう!」と起業を決意します。
現在は、「障害にまつわる絶望を希望に変える」というミッションを掲げ、障害児支援に特化した認可保育園や、同じ建物内に個別リハビリができる児童発達支援事業所を併設した完全インクルーシブな建物で支援を行い、たくさんのおやこの支えになれています。
それもこれもあなたが生まれてきてくれたからです。
ママは、自分の生きる使命を見つけました。使命とは、「命を使う」と書きます。大切な時間という命を使い、私が生涯をかけて成し遂げたい事は、ママやパパがいなくなってしまってもあなたが幸せに生きられる社会をつくる事。その結果、障害を宣告されて絶望の最中にいるたくさんの家族も一緒に、みんなで幸せになれると信じています。
将暉、生まれて来てくれて本当にありがとう。大好きだよ。これからもずーーーーっと一緒だよ。たくさんの思い出を作っていこうね。



 
※本ニュースはRSSにより自動配信されています。
本文が上手く表示されなかったり途中で切れてしまう場合はリンク元を参照してください。

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してぐるっとママ横浜は一切の責任を負いません