2021.12.20
矢野康弘:お笑い劇場の運営・コピーバンドエンタメ活動の志事
自分が好きなこと・喜びを感じる志事がお客様の「ありがとう」につながる
■お笑い芸人の登竜門的な劇場を20年運営
1990年後半からお笑い・漫才・コントなどをやるイベントをやる劇場のオーナーをしていました。「シアターD」という劇場です。20年ほど運営し、2016年に閉館しました。
東京のお笑いの芸人さんが売れっ子になるまで出演するという下積み専用の劇場です。
年間360日は営業していました。毎日やっていたといっても過言ではありません。舞台に立ってくれたのは、バカリズム、バナナマン、オリエンタルラジオも出たこともあります。
仕事のきっかけは父親が劇場運営に失敗して事業を引き継いだからです。だから、最初の仕事はやりたくて仕方がなかったというよりは、やらざるを得ない仕事でしたね。
■進むも地獄、戻るも地獄な状態でただただ進むしかなかった
劇場運営はすぐに辞めますと言えるような状態ではありませんでした。
家賃が払えなかったら借金になってしまうから、20代の足りない知恵の中でただただ生きていくために必死で考えていました。
このころは志事というか、「とにかくなんとかしていかなきゃ」っていう気持ちで突き進んでいました。
その後、2000年代のお笑いブームが到来してよい時代を迎えることができました。
シアターDはM1やR1の予選会場にもなっていたこともありましたね。
■シアターD閉館後コピーバンドの志事へ
私が次の志事としてやっていたのは、サザンオールスターズの楽曲をパフォーマンスする、コピー(カバー)バンドです。
ちょうど、YoutubeやSNSの時代になって、お客さんがたくさん来てくれるようになり、イベント会社からオファーがくるようになりました。
趣味で始めた活動も2013年頃から徐々に仕事になってきました。そこで、コピーバンドについて深く考えていきました。
日本では基本的にコピーバンドはアマチュア活動と思われがちで、バンド単位のカバーはプロフェッショナルがいない状態でした。
アメリカを調べたら、コピーバンドが大きな商売になっていて、ビートルズなど解散してしまったバンドのコピーバンドがたくさん稼いでいました。
ホテルのディナーショーなどでもオファーが続き、CDが売れなくなってきた時代に、音楽業界が「体験を売る」というモードに代わっていきました。日本のレジェンド的なミュージシャンが引退する時代に、追体験できない世代が出てきます。だから、音楽業界にコピーバンドの追体験を売るビジネスが流行るだろうなと感じて。その分野のパイオニアになろうとしました。
フジロックフェスにも出演しました。フジロック側に、「今後カバーの時代が来る!」ということを掛け合いました。サザンの音楽が好きでも、簡単にはチケットは取れない。多くのお客さんがパフォーマンスを喜んでくれるのが嬉しかったですね。
■お客さんが楽しんでくれて、「ありがとう」と言われることへの喜びを実感
お笑いの世界で考えたときに、業界のトップをとることは難しいと感じました。何か、名を残せるような大きなことを成し遂げたいなと感じていたからこそ、誰も気づいていないような業界で先駆者として走ったら、業界が大きくなったときに、トップになれるとひらめいたんです。
アーティストとしてやりながら、カバーバンドを輩出するといったプロデュースにも活動を広げました。
劇場で裏方をしていたときよりも、人前に立ってた方が圧倒的に「ありがとう」と言われることが多くありました。
最初は、仕事としてやってるのに、こちらがありがとうなのになぜ?と思っていました。お客さんが楽しんでくれたから、「ありがとう」と言われるのですよね。表に出る仕事は芸能界の裏方よりもやりがいを感じました。その気づきを得られたのはやりたいことを追求した結果だと思います。
■お笑いの仕事は人間にしかできない志事
お笑いは、AIがやるとなると、相当難しいと思う。AIがSF映画に出てくるようなほぼ人間の状態じゃないと難しい。その場の機転がきくかきかないかがキモなので、それをプログラミングするのは至難の業だと思う。
ただ、お笑い芸人がずっと花形であるかはわからない。講談師や、落語家、大道芸が花形だった時代がありますよね。お笑い芸人が花形の時代があったけど、今後また花形かはわからない。
人に笑いを届けるという仕事はずっと「人」がやっていくと思います。
一方で音楽は音源自体はAIでも歌を歌える時代になってきている。美空ひばりさんの声を取り込んで、亡くなってから数十年たって新曲が出たこともありました。音楽作品という意味についてはAIがやれる可能性がある。
■自分が好きなこと・喜びを感じる志事がお客様の「ありがとう」につながる
これからを生きる子どもたちには「好きなことをしていってほしい」と思います。好きなことを追求していったら、やりたいことでトップを目指せるようになる。
人それぞれ向いていることは違う。僕の場合は、裏方の仕事より表に出る仕事は向いていたと思うし楽しかった。逆に裏方が好きな人もいると思う。向き不向きは人それぞれです。
だからこそ、好きなことに取り組んで、自分に向いている活動に目を向け、充実感のある志事に取り組んでもらいたいと思います。
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矢野康弘
観る人すべてを笑顔にしたい!をモットーに「桑田研究会バンド」ボーカルとして全国各地のライブイベントに出演、延べ60,000人以上にそのサザン愛あふれる歌声を届けてきた。茅ヶ崎市成人式ほかフジロックフェスティバル'16&'17連続出演。渋谷で20年間続いた小劇場「シアターD」の元支配人(矢野Jr.)。2017年より原因不明の難病「中枢性羞明」により視覚障がい発症。
矢野康弘note
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矢野康弘 Youtube
■お笑い芸人の登竜門的な劇場を20年運営
1990年後半からお笑い・漫才・コントなどをやるイベントをやる劇場のオーナーをしていました。「シアターD」という劇場です。20年ほど運営し、2016年に閉館しました。
東京のお笑いの芸人さんが売れっ子になるまで出演するという下積み専用の劇場です。
年間360日は営業していました。毎日やっていたといっても過言ではありません。舞台に立ってくれたのは、バカリズム、バナナマン、オリエンタルラジオも出たこともあります。
仕事のきっかけは父親が劇場運営に失敗して事業を引き継いだからです。だから、最初の仕事はやりたくて仕方がなかったというよりは、やらざるを得ない仕事でしたね。
■進むも地獄、戻るも地獄な状態でただただ進むしかなかった
劇場運営はすぐに辞めますと言えるような状態ではありませんでした。
家賃が払えなかったら借金になってしまうから、20代の足りない知恵の中でただただ生きていくために必死で考えていました。
このころは志事というか、「とにかくなんとかしていかなきゃ」っていう気持ちで突き進んでいました。
その後、2000年代のお笑いブームが到来してよい時代を迎えることができました。
シアターDはM1やR1の予選会場にもなっていたこともありましたね。
■シアターD閉館後コピーバンドの志事へ
私が次の志事としてやっていたのは、サザンオールスターズの楽曲をパフォーマンスする、コピー(カバー)バンドです。
ちょうど、YoutubeやSNSの時代になって、お客さんがたくさん来てくれるようになり、イベント会社からオファーがくるようになりました。
趣味で始めた活動も2013年頃から徐々に仕事になってきました。そこで、コピーバンドについて深く考えていきました。
日本では基本的にコピーバンドはアマチュア活動と思われがちで、バンド単位のカバーはプロフェッショナルがいない状態でした。
アメリカを調べたら、コピーバンドが大きな商売になっていて、ビートルズなど解散してしまったバンドのコピーバンドがたくさん稼いでいました。
ホテルのディナーショーなどでもオファーが続き、CDが売れなくなってきた時代に、音楽業界が「体験を売る」というモードに代わっていきました。日本のレジェンド的なミュージシャンが引退する時代に、追体験できない世代が出てきます。だから、音楽業界にコピーバンドの追体験を売るビジネスが流行るだろうなと感じて。その分野のパイオニアになろうとしました。
フジロックフェスにも出演しました。フジロック側に、「今後カバーの時代が来る!」ということを掛け合いました。サザンの音楽が好きでも、簡単にはチケットは取れない。多くのお客さんがパフォーマンスを喜んでくれるのが嬉しかったですね。
■お客さんが楽しんでくれて、「ありがとう」と言われることへの喜びを実感
お笑いの世界で考えたときに、業界のトップをとることは難しいと感じました。何か、名を残せるような大きなことを成し遂げたいなと感じていたからこそ、誰も気づいていないような業界で先駆者として走ったら、業界が大きくなったときに、トップになれるとひらめいたんです。
アーティストとしてやりながら、カバーバンドを輩出するといったプロデュースにも活動を広げました。
劇場で裏方をしていたときよりも、人前に立ってた方が圧倒的に「ありがとう」と言われることが多くありました。
最初は、仕事としてやってるのに、こちらがありがとうなのになぜ?と思っていました。お客さんが楽しんでくれたから、「ありがとう」と言われるのですよね。表に出る仕事は芸能界の裏方よりもやりがいを感じました。その気づきを得られたのはやりたいことを追求した結果だと思います。
■お笑いの仕事は人間にしかできない志事
お笑いは、AIがやるとなると、相当難しいと思う。AIがSF映画に出てくるようなほぼ人間の状態じゃないと難しい。その場の機転がきくかきかないかがキモなので、それをプログラミングするのは至難の業だと思う。
ただ、お笑い芸人がずっと花形であるかはわからない。講談師や、落語家、大道芸が花形だった時代がありますよね。お笑い芸人が花形の時代があったけど、今後また花形かはわからない。
人に笑いを届けるという仕事はずっと「人」がやっていくと思います。
一方で音楽は音源自体はAIでも歌を歌える時代になってきている。美空ひばりさんの声を取り込んで、亡くなってから数十年たって新曲が出たこともありました。音楽作品という意味についてはAIがやれる可能性がある。
■自分が好きなこと・喜びを感じる志事がお客様の「ありがとう」につながる
これからを生きる子どもたちには「好きなことをしていってほしい」と思います。好きなことを追求していったら、やりたいことでトップを目指せるようになる。
人それぞれ向いていることは違う。僕の場合は、裏方の仕事より表に出る仕事は向いていたと思うし楽しかった。逆に裏方が好きな人もいると思う。向き不向きは人それぞれです。
だからこそ、好きなことに取り組んで、自分に向いている活動に目を向け、充実感のある志事に取り組んでもらいたいと思います。
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矢野康弘
観る人すべてを笑顔にしたい!をモットーに「桑田研究会バンド」ボーカルとして全国各地のライブイベントに出演、延べ60,000人以上にそのサザン愛あふれる歌声を届けてきた。茅ヶ崎市成人式ほかフジロックフェスティバル'16&'17連続出演。渋谷で20年間続いた小劇場「シアターD」の元支配人(矢野Jr.)。2017年より原因不明の難病「中枢性羞明」により視覚障がい発症。
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