2022.03.25
無痛分娩・1人目・産後ブルー<出産体験記>
#1人目 #計画無痛分娩 #促進剤使用 #産婦人科専門病院入院 #立ち会い無し #産後ブルー
ぐるっとママ横浜アンバサダーのワッターです。
2007年、31歳の時に長男を横浜市の産婦人科専門病院で、無痛分娩で出産したときの体験記です。
なぜ無痛分娩にしたか
はい、自他共に認める、極度の怖がりだからです!
次男を2015年に出産していますが、次男も無痛分娩でした。長男と次男で同じ無痛分娩でも結構違ったので次男についても別途書きたいと思います。
出産1週間前
子宮口の開き具合から、出産は1週間後にしましょうと決まりました。計画無痛分娩です。
先生の担当の曜日だからだったと思います。
この日に息子の誕生日が決定したので感慨深かったです。
出産前日
出産予定日前日に入院しました。一人目というのもあり個室にしました。
レントゲン
前日に入院、レントゲンを取り、骨盤チェックをし、「問題ない、するっと出ますよ」と言われましたが、無痛だからあんまり関係ないのではと思ったのを覚えています。
無痛分娩用の処置
夕食前くらいに、無痛分娩用の針を背中に入れました。
背中に針を入れるときは看護師さんにがっちり身体を押さえつけられました。
ちく~り、くらいで、あまり痛くなかったです。
他にももしかしたら処置等をしたかもしれませんが、おぼえているのは以上です。
出産当日
午前
朝、錠剤を飲みました。飲むのを看護師さんにチェックされるような大事な薬でした。今となっては不明ですが促進剤でしょうか。
浣腸もしました。
お昼頃・分娩室へ
お昼かお昼前くらいに、分娩室へ。
朝から何も食べませんでした。
ベッドで横になっているとお腹の重みで苦しかった記憶があります。
徐々にお腹が痛み出す
お昼過ぎから生理痛のような痛みが。
数十分おきくらいに助産師さんに子宮口をチェックされました。
数時間、波のようにやってくる痛みに耐えていました。
この時これが陣痛だとは思いませんでした。私は無痛だから陣痛は無いくらいに思っておりました。
数時間たってからでしょうか。だんだん痛みが強くなり、吐きそうなくらい痛くなりました。
我慢できなくなり看護師さんに「痛いんですけど!!」と伝えたら、先生が来て、背中から伸びているチューブに麻酔を入れてくれて、痛みが嘘のようにすうーっと引きました。
先生は、妊娠中から担当してくれて、お産と麻酔医も兼ねてました。
その後はたいした痛みもなく、お産しよう、となりました。
無痛分娩でお産!
サポートで入っている助産師さんがハサミでシャッキンと何かを切ると、ジャバジャバ〜っと水の滴るような音が聞こえました。後から思うと破水させたのでしょうか。
何度か助産師さんや先生に指導されていきみましたが、どうやらいきむ力が弱いらしく、何度かいきんだ後、最終的には先生が引っ張って出してくれました。
お喋りしながら、笑いながらのおだやかな出産でした。
生まれたのは午後4:30頃
生まれた直後から長男は大きな声で泣きはじめました。
先生が、へその緒を「成城石井のフランクフルトのように太い」とおっしゃったのが忘れられず、次男の時には助産師さんにどうだったかきいてしまいました。
少しきれいにしてもらった後、長男を横に置いてくれました。
不思議そうに上を見ていたのを覚えています。
特に何の言葉も出ず、ただ長男を見ていました。
分娩後も数時間分娩台でじっとする
分娩後、麻酔をしているため、動いてはいけないので2時間か3時間くらい分娩室にいました。
その間に実父母、義母が赤ちゃんには会ったのですが、私には会わずじまいでした。
とても喉が渇いたのをおぼえています。
分娩室で横になりながら、まわりで繰り広げられるあらゆるお産に聞き耳を立てていました。
すごい叫び声がずっと続いていていきなり止んだかと思ったら、「ぺシッ、ぺシッ、」と何かをたたく音がしたと思ったらまた叫び声が。気絶したのでしょうか。
先生が帝王切開を進めても、何も答えず、やがてご主人が到着、どうやら帝王切開に切り替えたようでした。
おとなりさんは同じく無痛だったので、とっても静かでした。
分娩室を出てだんなにキレる
2、3時間たった後、数名によいしょされて担架で個室まで運ばれました。
分娩室を出たところで、赤ちゃんを一度抱っこさせてもらいました。
そこには主人がいて、なんとカメラを向けるではありませんか!!!!
無痛とはいえ出産後ボロボロ、前もはだけているようなところを写真にとられたくないのに、まわりに助産師さんたちが待っていてくれるのでポーズをしなきゃいけなくて心で泣きながら写真に写りました。
いまだにあの怒りは忘れられません。
でもその写真はとっても良い記念の一枚になってしまいました。↓コレ
今ではこの写真を長男に見せてどや顔しております^^
その日はその後個室でゆっくりすることができました。
めちゃくちゃおなかが減っているのに、夕飯は少ししか出ませんでした。
まだあまり動いてはいけないと言われ、どうやって食べたらいいんだと問うと、なんとか食べてくださいと。
何とか食べました。
出産翌日
個室入院、母子同室の予定でしたが、赤ちゃんが吸う力が弱く哺乳瓶を吸わないのでしばし病院で預かるということで同室にはなりませんでした。
2007年当時はあまり母乳育児に力をいれていないようでしたが、その後、母乳外来ができたりと改善されたようです。
身体がフラフラでびっくり
見には行けるということで、たくさんの赤ちゃんが並ぶ部屋にガラス越しに会うことができました。
実際に歩いてみると、短い距離なのに、身体がフラフラしてだるくて立っていられなくて、ガラスによっかかりながら赤ちゃんを見たり動画を撮ったりしました。
無痛とはいえ体力は消耗していたのです。
赤ちゃんの、赤ちゃんっぽい動きを初めて見てこんな動きをするんだ〜と思いました。
この時はじめてかわいいな~と思いました。
母子同室にならなかったおかげで翌日もゆっくりでき、体力を回復することができました。
出産2日後から退院まで
息子の吸う力も問題なくなり、2日後からは母子同室になりました。
立ち上がってもふらふらすることはなくなりました。
病院の食事が合わなくて、母が持ってきてくれたリンゴや漬物が無くなった後は、おにぎりとかチップスターとか買ってきてもらって食べていました。(これはおっぱいには良くなかったと反省しています。)
授乳で苦労し産後ブルーが追い打ちをかける
産院は、3時間ごとに起こされて、授乳室へ行っておっぱいをあげて、足りなかったらミルクをあげなくてはならないシステムでした。
おっぱいをあげる前とあげた後の体重をスケールで測って差分をノートに記入しなくてはなりませんでした。
その計算が嫌で2日目くらいからは適当に書いていました。
授乳室にはたくさんのママたちがおっぱいをあげていました。
二人目で上手なお母さん、帝王切開で点滴をつけながら授乳するお母さん、知り合いになったママ同士おしゃべりをするお母さんなど、たくさんいました。
正直私は、たくさんのママたちに混じっておっぱいをあげることが苦痛でたまりませんでした。
アドバイスは少しありましたがおっぱいも思うように出ませんでした。
説明はあり、知識もありましたが、2日か3日後におっぱいがパンパンになってきてびっくりしました。
個室に看護師さんがおっぱいをチェックしにきてくれるのですが、たいした処置もしないので岩のようになって痛くて、何回目かに助産師さんが来た時に、助産師さんのなにかの言葉にひっかかって、張りつめていた気持ちが破裂して泣いてしまいました。
でもあっさり助産師さんたちは帰ってしまいました。
後から考えると産後ブルーってやつだったと思います。
知人がお見舞いにきてくれたのは嬉しかった
翌々日くらいから、親戚や知人・友人がお見舞いにきてくれました。
産後ブルーではありましたが、友人・知人たちが、病院まで足を運んで会いに来てくれたのは単純にとても嬉しかったです。
退院
待ちに待った退院です!
たしか、経産婦より初妊婦のほうが一日入院日数が長かった気がします。
経産婦さんが先に退院されるのがうらやましかったです。
退院帰りに実父の車の中から見た風景に胸を打たれたのをものすごく覚えています。
その後、産後ブルーは続き、旦那や実父は恨みの対象になるのですが…。それはまた別の機会に☆
以上で出産体験記を終わります。
長々と読んでいただきありがとうございました!
ワッター
<産院で長男と旦那>
ぐるっとママ横浜アンバサダーのワッターです。
2007年、31歳の時に長男を横浜市の産婦人科専門病院で、無痛分娩で出産したときの体験記です。
・Time Table
出産1週間前 | 出産予定日が決定 |
出産前日 | 入院、レントゲン・麻酔用処置 |
出産当日 午前 | 促進剤・浣腸 |
出産当日 正午 | 分娩室へ |
出産当日 正午過ぎ | 徐々にお腹が痛み出す |
出産当日 16:30頃 | 無痛分娩 |
出産当日 16:30過ぎ | 分娩後も数時間分娩台に |
出産当日 18:30過ぎ | 分娩室を出てだんなにキレる |
出産翌日 | ゆっくりする(入院3日目) |
出産翌々日 | 母子同室、授乳は授乳室で |
3日目から退院 | 産後ブルーが襲う |
なぜ無痛分娩にしたか
はい、自他共に認める、極度の怖がりだからです!
次男を2015年に出産していますが、次男も無痛分娩でした。長男と次男で同じ無痛分娩でも結構違ったので次男についても別途書きたいと思います。
出産1週間前
子宮口の開き具合から、出産は1週間後にしましょうと決まりました。計画無痛分娩です。
先生の担当の曜日だからだったと思います。
この日に息子の誕生日が決定したので感慨深かったです。
出産前日
出産予定日前日に入院しました。一人目というのもあり個室にしました。
レントゲン
前日に入院、レントゲンを取り、骨盤チェックをし、「問題ない、するっと出ますよ」と言われましたが、無痛だからあんまり関係ないのではと思ったのを覚えています。
無痛分娩用の処置
夕食前くらいに、無痛分娩用の針を背中に入れました。
背中に針を入れるときは看護師さんにがっちり身体を押さえつけられました。
ちく~り、くらいで、あまり痛くなかったです。
他にももしかしたら処置等をしたかもしれませんが、おぼえているのは以上です。
出産当日
午前
朝、錠剤を飲みました。飲むのを看護師さんにチェックされるような大事な薬でした。今となっては不明ですが促進剤でしょうか。
浣腸もしました。
お昼頃・分娩室へ
お昼かお昼前くらいに、分娩室へ。
朝から何も食べませんでした。
ベッドで横になっているとお腹の重みで苦しかった記憶があります。
徐々にお腹が痛み出す
お昼過ぎから生理痛のような痛みが。
数十分おきくらいに助産師さんに子宮口をチェックされました。
数時間、波のようにやってくる痛みに耐えていました。
この時これが陣痛だとは思いませんでした。私は無痛だから陣痛は無いくらいに思っておりました。
数時間たってからでしょうか。だんだん痛みが強くなり、吐きそうなくらい痛くなりました。
我慢できなくなり看護師さんに「痛いんですけど!!」と伝えたら、先生が来て、背中から伸びているチューブに麻酔を入れてくれて、痛みが嘘のようにすうーっと引きました。
先生は、妊娠中から担当してくれて、お産と麻酔医も兼ねてました。
その後はたいした痛みもなく、お産しよう、となりました。
無痛分娩でお産!
サポートで入っている助産師さんがハサミでシャッキンと何かを切ると、ジャバジャバ〜っと水の滴るような音が聞こえました。後から思うと破水させたのでしょうか。
何度か助産師さんや先生に指導されていきみましたが、どうやらいきむ力が弱いらしく、何度かいきんだ後、最終的には先生が引っ張って出してくれました。
お喋りしながら、笑いながらのおだやかな出産でした。
生まれたのは午後4:30頃
生まれた直後から長男は大きな声で泣きはじめました。
先生が、へその緒を「成城石井のフランクフルトのように太い」とおっしゃったのが忘れられず、次男の時には助産師さんにどうだったかきいてしまいました。
少しきれいにしてもらった後、長男を横に置いてくれました。
不思議そうに上を見ていたのを覚えています。
特に何の言葉も出ず、ただ長男を見ていました。
分娩後も数時間分娩台でじっとする
分娩後、麻酔をしているため、動いてはいけないので2時間か3時間くらい分娩室にいました。
その間に実父母、義母が赤ちゃんには会ったのですが、私には会わずじまいでした。
とても喉が渇いたのをおぼえています。
分娩室で横になりながら、まわりで繰り広げられるあらゆるお産に聞き耳を立てていました。
すごい叫び声がずっと続いていていきなり止んだかと思ったら、「ぺシッ、ぺシッ、」と何かをたたく音がしたと思ったらまた叫び声が。気絶したのでしょうか。
先生が帝王切開を進めても、何も答えず、やがてご主人が到着、どうやら帝王切開に切り替えたようでした。
おとなりさんは同じく無痛だったので、とっても静かでした。
分娩室を出てだんなにキレる
2、3時間たった後、数名によいしょされて担架で個室まで運ばれました。
分娩室を出たところで、赤ちゃんを一度抱っこさせてもらいました。
そこには主人がいて、なんとカメラを向けるではありませんか!!!!
無痛とはいえ出産後ボロボロ、前もはだけているようなところを写真にとられたくないのに、まわりに助産師さんたちが待っていてくれるのでポーズをしなきゃいけなくて心で泣きながら写真に写りました。
いまだにあの怒りは忘れられません。
でもその写真はとっても良い記念の一枚になってしまいました。↓コレ
今ではこの写真を長男に見せてどや顔しております^^
その日はその後個室でゆっくりすることができました。
めちゃくちゃおなかが減っているのに、夕飯は少ししか出ませんでした。
まだあまり動いてはいけないと言われ、どうやって食べたらいいんだと問うと、なんとか食べてくださいと。
何とか食べました。
出産翌日
個室入院、母子同室の予定でしたが、赤ちゃんが吸う力が弱く哺乳瓶を吸わないのでしばし病院で預かるということで同室にはなりませんでした。
2007年当時はあまり母乳育児に力をいれていないようでしたが、その後、母乳外来ができたりと改善されたようです。
身体がフラフラでびっくり
見には行けるということで、たくさんの赤ちゃんが並ぶ部屋にガラス越しに会うことができました。
実際に歩いてみると、短い距離なのに、身体がフラフラしてだるくて立っていられなくて、ガラスによっかかりながら赤ちゃんを見たり動画を撮ったりしました。
無痛とはいえ体力は消耗していたのです。
赤ちゃんの、赤ちゃんっぽい動きを初めて見てこんな動きをするんだ〜と思いました。
この時はじめてかわいいな~と思いました。
母子同室にならなかったおかげで翌日もゆっくりでき、体力を回復することができました。
出産2日後から退院まで
息子の吸う力も問題なくなり、2日後からは母子同室になりました。
立ち上がってもふらふらすることはなくなりました。
病院の食事が合わなくて、母が持ってきてくれたリンゴや漬物が無くなった後は、おにぎりとかチップスターとか買ってきてもらって食べていました。(これはおっぱいには良くなかったと反省しています。)
授乳で苦労し産後ブルーが追い打ちをかける
産院は、3時間ごとに起こされて、授乳室へ行っておっぱいをあげて、足りなかったらミルクをあげなくてはならないシステムでした。
おっぱいをあげる前とあげた後の体重をスケールで測って差分をノートに記入しなくてはなりませんでした。
その計算が嫌で2日目くらいからは適当に書いていました。
授乳室にはたくさんのママたちがおっぱいをあげていました。
二人目で上手なお母さん、帝王切開で点滴をつけながら授乳するお母さん、知り合いになったママ同士おしゃべりをするお母さんなど、たくさんいました。
正直私は、たくさんのママたちに混じっておっぱいをあげることが苦痛でたまりませんでした。
アドバイスは少しありましたがおっぱいも思うように出ませんでした。
説明はあり、知識もありましたが、2日か3日後におっぱいがパンパンになってきてびっくりしました。
個室に看護師さんがおっぱいをチェックしにきてくれるのですが、たいした処置もしないので岩のようになって痛くて、何回目かに助産師さんが来た時に、助産師さんのなにかの言葉にひっかかって、張りつめていた気持ちが破裂して泣いてしまいました。
でもあっさり助産師さんたちは帰ってしまいました。
後から考えると産後ブルーってやつだったと思います。
知人がお見舞いにきてくれたのは嬉しかった
翌々日くらいから、親戚や知人・友人がお見舞いにきてくれました。
産後ブルーではありましたが、友人・知人たちが、病院まで足を運んで会いに来てくれたのは単純にとても嬉しかったです。
退院
待ちに待った退院です!
たしか、経産婦より初妊婦のほうが一日入院日数が長かった気がします。
経産婦さんが先に退院されるのがうらやましかったです。
退院帰りに実父の車の中から見た風景に胸を打たれたのをものすごく覚えています。
その後、産後ブルーは続き、旦那や実父は恨みの対象になるのですが…。それはまた別の機会に☆
以上で出産体験記を終わります。
長々と読んでいただきありがとうございました!
ワッター
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