みいるさん「有難いもの」
『妊娠→出産まで、何一つ当たり前に進んだものは無く、全てが有難いもの。あなたがいる、それだけでとてもありがたい毎日です。』 みいちゃんは安産タイプだね。 初めて言われたのは小学校6年生の時だった。体が大きく、滅多に風邪も引かない健康優良児だった私。 その後39歳で妊娠するまでの間、何度も同じセリフを違う人から言われた。妊娠出産なんて当たり前に出来るものだと長い間思い込んでいた。 妊娠8週目を迎える頃、診察時に小さな黒い袋の様な影が二つ見えた。 「切迫流産の可能性があります。今日から家で絶対安静にして下さい。」 先生から予想外の診断を下され、頭の中は真っ白になった。 狼狽える私に、「子供の命がかかってるんだから!しっかりして、お母さん!」と先生は喝を入れた。 私にはお腹の子供の様子は分からない、見ることも出来ない。 でも、私はこの子のお母さんだ。出来ることは今すぐ家に帰り、只管寝ることしかないんだ。 4週間の絶対安静により、何とか切迫流産の危機を乗り越えることが出来た。 しかし、妊娠後期に突入するとすぐに切迫早産により再び寝たまま生活に突入することになった。 ただ、妊娠初期の寝たまま生活とは違い、お腹にはずっしりと子供の重みを感じ、勢いよく蹴る音や、謎の携帯バイブ着信の様なものがお腹に響いて大分賑やかなものになった。 私は妊婦期間の約3分の1を寝たまま過ごした。 母親学級に参加することも、妊婦雑誌に載っていた出産前にやりたいことリストも殆どしなかった。 しかし、そんな私でも人一倍したことは祈ることだった。 私は安産タイプと言われながらも、なかなか子供を授かることは出来なかった。 30代前半で結婚した当初、私は専門職として働き、終電帰りや休日出勤をこなす毎日。 体は丈夫な方だった為、子供はいつか出来るだろうと悠長に構えていた。 しかし、35歳を過ぎた頃から子供を望むなら今の生活を変えるべきだと夫と話し合い、私は転職し、不妊治療を始めることになった。 生活を変えたからといって必ず妊娠出来るわけではない。検査で私達夫婦は何も問題無いと判断されているのに、受精卵が育たない。 携帯ゲームと違って、いくら課金しても受精卵が強くなるわけではない。 そんな中、唯一育ってくれたのが、今の息子であった。 私にとって妊娠は奇跡だ。 もっと言ってしまえば、今私が生きていること自体が奇跡だ。 私は寝たままの姿勢で毎日祈り続けた。 今、私が生きていること、そしてお腹の中で子供が生きていることに感謝した。 「どうかこの子が無事に生まれて元気に、幸せに育ちますように。どうか私の奇跡も全てこの子に与えて下さい。お腹の子供に奇跡が起こり続けますように。」 私には祈ることしか出来なかった。 そして、私は元気に育った息子の姿を想像する。 そしてその想像はついには反抗期まで迎えてしまう。 そんなことを繰り返しながら、私はついに正産期を迎えることが出来た。 出産後、私は出血多量ですぐに処置が必要なった。 息子はすぐに保育器の中に入り、産後3日目にようやく息子を抱くことが出来た。 「よく頑張ったね。産まれてきてくれてありがとう。」 妊娠するまで、そして妊娠してからも何一つ当たり前に、順調に進んだものは無かった。 しかし息子はそんな中でも頑張って生まれて来てくれた。 本当にありがとう。 そして、これからもずっと、毎日あなたにありがとうと言わせてと願った。 あれから4年が経ち、私達は奇跡的に元気に過ごしている。 毎日寝顔に向かって「生まれてきてくれてありがとう」という瞬間、私はいつも世界一の幸せ者であることに気付く。 願わくば、息子にも私に負けないくらい幸せになって欲しい。 4歳になった息子はやんちゃ盛りだが、反抗期はまだ当分来ないようだ。 いつか反抗期が来て、息子が「誰が産んでくれなんて頼んだんだよ!」なんて言ったら、寝ながら想像したあの時を思い出してこう言おう。 「私があんたを産ませて下さいって毎日頼んだんだよ!」 東京都 みいるさん 題名:有難いもの 子どもへ伝えたい言葉:「妊娠→出産まで、何一つ当たり前に進んだものは無く、全てが有難いもの。あなたがいる、それだけでとてもありがたい毎日です。」