横浜応募作文 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

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磯谷恵実さん「親と子の結びつき」

磯谷恵実さん「親と子の結びつき」

『家族の絆が深く結ばれたのは、あなたがいてくれたから。あなたという存在に感謝を伝えます。』   8歳になるあなたへ。 この文を読むのは、あなたの背がわたしにもう少し近づいた頃。 今日という日に感謝します。 今日はあなたが産まれてきてくれた日。 忘れもしない、 2014年2月20日 初めての出産。36時間の陣痛の末、産まれてきたのは2880gの元気な元気な女の子! あの日、あなたが産まれてきてくれて 羊水と、胎脂と、お乳の匂いがする 頭をぎゅっと抱きしめて こんなにもこんなにも愛おしい存在が、この世界にはいるんだ って涙がとめどなく溢れてきたの。 だけどごめんね。 愛おしい、大事にしたい、あなたを世界で一番幸せな子にしたい って溢れる気持ちに、 わたしはひとりで圧倒されてしまって。 嬉しい、幸せ、 と同時に、「ちゃんとこの子を幸せにできるのかな」って怖くなったの。 わたしはあんまりいいお母さんじゃないね。 この8年いっしょに過ごしてきて、きっとあなたなら知ってると思うけど。  あなたを育てていると、 まるでわたしの人生を1からなぞるような感覚がありました。 小さなあなたが、幼い日のわたしに重なったんです。 そしてそれは、わたしの母の癒えない悲しみを辿る旅路でもありました。 母と娘。そしてそのまた娘。 とても不思議なつながりだね。 “苦しみの輪”だと思い込んでいたものは、わたしたち家族をつなぐ 深い、愛おしい、結びつきでした。 自分の今まで生きてきた道のりを愛おしく思えたとき、 娘であるあなたの人生を背負おうとしていた身体の緊張がほどけていくのを感じました。 わたしは母にされて嫌だったことを 娘であるあなたにしてしまうんじゃないのかって とても怖かったの。 「悪いお母さん」になるのが嫌で、「良いお母さん」になろうとしていた。 「良いお母さん」になろうとすればするほど、「悪いお母さん」にそっくりな自分にガッカリする。 だけどね、そうじゃないんだってこと。やっと分かったよ。 母の最も嫌だったことを心から愛せたとき、あなたへの想いも大きく大きく変化しました。 「良い」も「悪い」も越えたところに、本当にあなたに渡したいものがみえました。 「色んな人の中であなたらしさを磨いて、人とつながりながら、あなたのいのちが輝くことをして社会に貢献していってほしい」 今は、心からそう思えます。  本当に色んなことがあったね。 わたしはあなたに育ててもらっているような、そんな毎日を愛しく思えるようになったよ。 前はそれが情けなかったんだ。 「これでいいんだ」ってやっと思えるようになったよ。 “あなた”という存在を通して、 わたしは人生に向き合う覚悟が決まったんだよ。本当にすごいね。 あなたは、あなたのままで素晴らしい。 あなたが生きているというだけで こんなにも人を変えてしまう“力”がある。 二重跳び、できるようになったね。 漢字、字がしっかりマスに入ってるね。 マル◎ カレーが作れるようになったね。 少しずつ、大人になっていくあなたを誇らしく思います。 この先 あなたの人生には優しさも厳しさもどちらもあります。 上手くいかないことや困難もあるし、 傷つくこともきっとあるでしょう。 ただただ、 あなたらしく生きることを、 その道のりを わたしは愛します。 たまに口うるさく言うと思うけど、そしたらまた仲直りをしよう。 プレゼントのポケモンゲーム、やりすぎないでね。 整理整頓、がんばろう。 あんまり気を使いすぎんでもいいからね。 ほんのひととき、 家族でいられる時間を大切にしていこう。 わたしたちのもとに産まれてきてくれて、 本当に本当にありがとう。 お誕生日、おめでとう!大好きだよ。   愛知県 磯谷恵実さん 題名:親と子の結びつき 子どもへ伝えたい言葉:「家族の絆が深く結ばれたのは、あなたがいてくれたから。あなたという存在に感謝を伝えます。」

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ちょこさん「10年後のあなたへ。」

ちょこさん「10年後のあなたへ。」

『10年後。どんな暮らしの中で、これを読んでいるんだろう』 あなたが2歳の誕生日に、この文章を書いている。書きながら、この話を10歳のあなたにすべきか、まだ迷っている。でも、やっぱり、大人になっていくあなたに伝えたいと思って、書いてみている。 一番伝えたいのは、わたしに、違う世界と景色を見せてくれて、ありがとうってこと。そして、あなたは生きる気力を失っていた私を、この世に留めてくれた存在だよってこと。 生まれる前から、わたしの体調は不安定で、生まれて1~2年は本当に本当に、大変だった。病気になってしまった私は、自分の境遇を嘆いてばかりいた。あんまり、あなたに構う余裕もなかった。あっちこっちに預けては、「これでいいのかなぁ?」「おかあさん、できているかなぁ?」と後悔と諦めの気持ちにまみれて過ごしていたんだ。 今まで「努力すれば、なんとかなる」「自己責任」が芸風の仕事の世界にいた私には、子どもとの暮らしが、なじめなかった。なじめないにも関わらず「これが母というものなのだ」「みんな苦労しているから」なんて幻想を抱えてふんばっていたら、余計に体調をくずしてしまった。 最初はうまく受け入れられなかったけど、一日また一日と、なんとか、生き残るのに必死だった。 ごくちいさいころから、あっちこっちに預けられていたからかな。ニコニコ笑顔が印象的で、愛嬌がいいあなたは、どこにいっても「かわいがってもらえる」術を身につけてきたような気がする。大きく暮らしが変わっても、すぐに順応する。新しいお友達と、その場ですぐに関係性をつくりあげる。あなたの生きる力の強さに、圧倒された。 自分は親なのだし……とあなたをなんとか生かそうしているとばかり思っていたけど、振り返れば、わたしのほうが生かされているのかもしれないと思っている。 あなたが生まれる前に考えていた、ドラマに出てくるような「しあわせのかたち」と現実がずいぶん違うことに戸惑った。ごくちいさいあなたを抱えて、右往左往して、生き方を大きく変えるのが身を引き裂かれるほどつらいと思ったこともあった。 でも、夜寝る前に「カメカメカメー-♪」「チコチコチコー♪」といっしょにうたったり、お風呂上りの牛乳をいっしょに飲んで「おいちいねー」と言われたりするうちに、少しずつ、自分の「しあわせのかたち」が変わっていくことを感じた。 じっくり変わっていく中で、自分の限界値と、現在地を強く意識するようになった。なにはできて、なにはできないのか。どんな状態なら、できるのか。見定めるのは、前よりもうまくできるようになった気がする。 生き方は、変わった。規則正しく寝て起きる暮らし。大事なものと、そうでもないものを仕分ける暮らし。 あなたがまだ2歳の時点では、正直にいって不安定さも抱える暮らしは、10年後、どこにたどり着いているのかわからないけれど。 それもまた、ひとつの在り方だなと思える暮らし。 願わくば、これを読んでいる10年後。あなたも、わたしも、もっともっと笑顔が増えているといいなぁ。   神奈川県 ちょこさん 題名:10年後のあなたへ。 子どもへ伝えたい言葉:10年後。どんな暮らしの中で、これを読んでいるんだろう

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松田ひとみさん「 大切なあなたへ。」

松田ひとみさん「 大切なあなたへ。」

『無事に産まれてきてくれただけで、一生分の親孝行をしてもらいました。』   昨年2021年の4月21日にあなたは生まれました。 はじめまして。という気持ちと、おかえり。という気持ちであなたの小さなふわふわな手を握りました。 生きて会えた事に心からありがとう。生きて、会えた。 2020年の5月、妊娠6ヶ月の安定期を過ぎてからの後期流産を経験しました。 先にお腹に来てくれた、あなたのお兄ちゃんを見送りました。 産まれたばかりのお兄ちゃんは、靴箱くらいの箱に入っていて、抱っこすることも出来なかったけど、何かお母さんらしいことがしたくて持ってきた絵本を必死で読みました。 ほどなくして、来てくれたあなた。 でもあなたを授かったことをほとんど誰にも報告が出来ずにいました。 人生で経験したことがない位たくさん泣いた分、あなたが来てくれたことが本当に嬉しかった。 でもまた同じ事が起きたら思うと怖くて怖くて、どうにかなりそうでした。 人生にはコントロール出来る事とどうしてもコントロール出来ない事がある。 人生で最もつらい経験から学ばせてもらったこと、そしてこれから出来る事をいつもの私らしくやろうと思った時に少し前向きになってきて、 毎晩、「今日も無事に生きててくれて本当にありがとう。明日もどうか一緒に生きてくれますように」とお腹のあなたに声をかけて、祈りながら10ヶ月をすごしました。 妊婦健診の前には緊張で足が震えて、前回の記憶がよみがえってきて泣きそうになりました。 そのたびに、『私はこの子を信じる!この子は絶対絶対無事に生まれてくる!』と書いたメモを読んで心を落ちつかせながら 毎回エコーに映る、力強く動くあなたの姿にほっとして勇気つけられました。 4月21日の朝、陣痛が始まって病院に入院。 ずっと順調だったのに、なかなかお産がすすまず、夜の20時ごろに、担当の先生から『赤ちゃんの回転がとまってしまいました。回旋異常です。このままだと赤ちゃんが弱ってしまうので、緊急帝王切開をします』と告げられました。 たくさんの先生や看護師さんがあなたを助けるために動いてくれました。 そして、キラキラした涙をポロッと流しながら私に手を伸ばしてくる、あなたと会うことができました。 本当はあなたをもっと抱っこしながら感動でわんわん泣きたかったけど、回旋異常からの帝王切開で半分気を失い、あなたも直ぐにNICUに。 ほんの一瞬だけ握った小さな手。命懸けで私の元に産まれてきてくれたと思いました。 前回の妊娠から今回の出産までずっと担当し支えて下さった主治医の先生がいます。 緊急帝王切開が決まり、不安に押しつぶされそうな私に、『この10ヶ月誰よりも赤ちゃんの心配してたのはお母さん、あなただったでしょ。赤ちゃんの命を最優先しましょう』と当日も緊急オペをしてくださいました。 なんとまあ、あなたはその先生と同じ誕生日に生まれました。 産んでもらっただけで親には一生返せない恩がある、という言葉があるそうですが、 無事に私の元に生まれてきてくれただけで、あなたには一生分の恩返しをしてもらった気がします。 そしてあなたの前に来てくれたあなたのお兄ちゃんにも、一生かけても得られない大切な事をたくさん教えてもらいました。 そして今、目の前で眠るあなたに。 今日も無事に生きててくれて本当にありがとう。 どうかこれからも無事に元気に大きくなっていきますように。 明日も一緒に笑って、過ごせますように お母さんより   愛知県 松田 ひとみさん 題名:大切なあなたへ。 子どもへ伝えたい言葉:「無事に産まれてきてくれただけで、一生分の親孝行をしてもらいました。」

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チョレママさん「おっぱいパワー!」

チョレママさん「おっぱいパワー!」

『あなたと私たちの親子の始まりのおはなし。"おっぱいパワー"で築いたふたりの絆をカカはきっと一生忘れません。あなたは男の子だから大きくなったら"おっぱいパワー"なんて言ったら恥ずかしくて嫌がられるかもしれないけど。大人になったら、この小さなカラダで一生懸命に生きようと闘って乗り越えたことを話したい。そんなあなたを誇りに思ってること、愛していることを伝えたいです。』   あなたの姿をはじめて見たとき、あなたはただの点(丸)でした。 それがだんだんと勾玉のようになり、頭と身体が二つの丸に分かれて、手足が生えて、指ができて、顔が整って…妊婦健診に行く度どんどん進化していく姿はとても神秘的でした。 機械の技術が進んでいる今、4Dエコーで姿をみることができ、お腹の中のあなたに会うのが楽しみで仕方ありませんでした。 でもあなたは顔をなかなか見せてくれません。いつもカカの筋腫を枕に顔を埋めていました。 たまに見せてくれる顔はトトにそっくり。手をよく動かして踊っていました。 幸いトラブルやひどい悪阻もなく、よく寝てよく食べて…幸せな妊婦生活を送っていました。 だんだんと大きく、まぁるくなっていくお腹が愛おしくてたまりませんでした。 トトは毎晩欠かさずお腹に手当をしてくれていましたよ。 (だからきっと今でもトトの抱っこが安心するのかな?よく寝付いてくれるので助かっています。) お腹にいる時からトトもカカもあなたに会える日を楽しみに、大事に大事にしていました。 正産期に入ってからは「今日かな?明日かな?」「何日生まれがいいな。」「早く会いたいな。」なんて言いながら、毎日ソワソワドキドキしていました。 のんびり屋さんのあなたはなかなか出てきてくれず、予定日より1週間あとになったのでそれまでの1ヶ月間はトトもカカも何も手がつかない日々を過ごしていました。 あの日、夕方からカカの体に異変が。 急激にお産が進み、一気に襲いかかる激痛と気持ち悪さに耐えきれず、分娩室では恥ずかしながら叫びまくっていました。 カカもはじめての経験なので、あまりの苦しさに気を失ってしまうんじゃないか?と思いましたが、あなたに会いたい一心に頑張りました。 カカのお腹が痛み始めてからたったの6時間半。 あなたはここに生まれてきてくれました。 私から生まれてきたとは思えないほど、あまりにも可愛い姿に嬉しさと驚きと愛おしさに心溢れました。 早く抱っこしたかったですが、急に外界に出てきたあなたはビックリしてしまったのかな…産声がか弱く呼吸が整わない様子で検査に連れて行かれてしまいました。 しばらくして戻ってきて、念願のはじめての抱っこ。 細い息で一生懸命呼吸をしているのを触れている胸から感じました。 その後"母子同室"のはずでしたがあなたはNICUへ入院となり、周りの産婦さんは赤ちゃんと一緒に過ごしている中、カカは病室でひとり。 とても寂しかった、そしてあなたにも一緒にいてあげられなくてごめんねの気持ちでいっぱいでした。 2時・5時・8時・11時・14時・17時・20時・23時。 3時間毎の面会。 この時の私にできることは搾乳したおっぱいを少しでも多く持っていくこと。 そして保育器の中のあなたに両手で触れてただただ祈り、パワーを送ることだけでした。 あなたはたくさんの管が繋がれて、何回もの注射をされて…嫌なことがたくさんでしたが一生懸命に生きようとしていました。 保育器からでられないので抱っこは出来ませんでしたがカカの搾乳したおっぱいを哺乳瓶で必死になって飲んでくれて、その姿から愛おしさと喜び、ごめんねと寂しい気持ち、生命のか弱さと強さ、色々なことを感じました。 嬉しいと寂しいと悲しいが混ざって涙が止まらない時もありましたが、とにかく少しでも長く一緒に居たかったので頑張って通いました。 決まった時間面会でなく、あなたが泣いたタイミングで呼んでもらえるようになったときは、呼ばれるたびにスキップする気持ちで飛んで会いに行ったのを思い出します。 あなたが頑張っておっぱい飲んでくれたおかげで日に日に容態が安定し、保育器から出られてはじめて直接おっぱいできた時は嬉しくて、可愛くって溢れる気持ちで苦しいくらいでした。 おっぱいパワーで二人で乗り切れたこと、誇りに思っています。 今もおっぱい飲む時勢いあまってむせたり、飲みすぎて吐き戻したり、まだまだお互いにちょっぴりへたくそだけど、よく飲んでよく眠ってスクスク育ってくれています。 たったの数日だけですが、あなたを抱っこできなかったこと、直接おっぱいをあげられなかったあの日があったから余計かもしれないけれど、あなたと毎日ずっと一緒にいられる今はとっても幸せです。 可愛くってたまりません。 生まれてきてくれてありがとう。 泣いて呼んでくれてありがとう。 おっぱい飲んでくれてありがとう。 たくさんの幸せをありがとう。   神奈川県 チョレママさん 題名:おっぱいパワー! 子どもへ伝えたい言葉:「あなたと私たちの親子の始まりのおはなし。"おっぱいパワー"で築いたふたりの絆をカカはきっと一生忘れません。あなたは男の子だから大きくなったら"おっぱいパワー"なんて言ったら恥ずかしくて嫌がられるかもしれないけど。大人になったら、この小さなカラダで一生懸命に生きようと闘って乗り越えたことを話したい。そんなあなたを誇りに思ってること、愛していることを伝えたいです。」

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金子 佐世子さん「尭年舜日〜穏やかな日々〜」

金子 佐世子さん「尭年舜日〜穏やかな日々〜」

『長男・舜が生まれて、仕事で追われていた生活が穏やかなものになり、次男・尭生が生まれて、家族が完成した。2人の母でいられることが幸せで、4人でいられる時間が最高に楽しい。』   私には6歳と4歳の息子がいる。 戦いごっこをし、YouTubeチャンネルを取り合う。 でも、いつの間にかピッタリくっついてテレビに向かい、戦いごっこの終盤はぎゅー。保育園では隣でお昼寝をしたがる、とても仲の良い素敵な兄弟だ。 長男は舜(しゅん)。次男は尭生(あき)。 中国の四字熟語『尭年舜日』=穏やかな日々を表している。 二人が過ごす毎日が穏やかで平和であるように、と、夫と考えた大切な名前である。 二人のお蔭で、私も夫も穏やかで幸せな毎日を過ごしている。 若い頃、イベント制作会社での激務に耐えながら、週末はホステスのアルバイトをしていた。 毎日飲酒をし、規則正しい毎日とはかけ離れていた。 結婚し、長く子どもはできなかった。粘膜下筋腫があり、手術をして子宮内を整えることから始めた。 2回の手術、タイミング法、人工授精、そして体外受精(顕微授精)をしたが妊娠せず。仕事との両立があまりにも辛くて、治療で処方されるホルモン関係の薬の副作用も辛くて、「もう消えてしまいたい」、夜中に突然泣き出すくらい不安定だった。 主人と相談し、その時取り組んでいた大きな案件を納品したら働き方を変える、それまでは治療を休む、と決めた。 腹をくくって仕事に専念できたことがストレス軽減になったのか、案件を納品できた1週間後、長男(=舜)の妊娠が判明。 激務の中、私の子宮にしがみついてくれていた舜。それだけで親孝行な息子だと感じた。 妊娠4ヶ月の頃、長年勤めた会社が倒産した。 別会社への移籍、案件の移行手続き…。 忙し過ぎて、夫に「それ以上無理するのは、お腹の子を虐待しているのと同じ。」と言われてしまうこともあった。 産前休暇に入った日に「切迫早産」で入院。 24時間点滴を打ち、子宮の収縮を防ぎながら、無理をしていた日々を悔い、何度も舜に謝った。 少し早めの帝王切開。その時またもやトラブルが…! 「赤ちゃん出ますよー」の時に「グッ」「グッ」と苦しそう。 テレビなどで目にしていた「オギャー」の声が聞こえない。何かが詰まったような、泣きたいのに泣けない、そんな声。 抱っこできずにすぐに保育器に入れられた。 小児科の先生から「長男くんは今日が山です。すぐに提携している大学病院のNICUに搬送します。」と言われ、パニックに。 なぜ正産期まで待ってあげられなかったのか、仕事を早く休めなかったのかと自分を責めた。 命に別状はないことはわかりホッとしたが、産科にいるほかのママさんたちのように抱っこしたり、授乳をしたり、面会に来た家族に会わせてあげたりができず、悲しかった。 保育器の穴に手を入れて、そっと撫でてあげることしかできなかった。 私が退院してからも長男は入院中だったので、毎日搾乳をして母乳を届ける日々。 約1か月後、長男は無事に退院した。 一方、次男(=尭生)の妊娠・出産は超スムーズ。 長男で時間がかかった分、長い不妊治療になると思ったけど、妊活をはじめてすぐに妊娠。 いまか、いまか、と順番待ちをしていたかのように。 トラブルなく出産の日を迎え、テレビに出てくるような元気な鳴き声の尭生が生まれた。 長男・舜が生まれて、仕事で追われていた生活が穏やかなものになり、次男・尭生が生まれて、家族が完成した。 2人の母でいられることが幸せで、4人でいられる時間が最高に楽しい。 妊娠・出産時に起きたトラブルは、そのときはつらく、苦しいが、ひとつひとつに対して向き合い、周りの人たちに甘えながら前に進むことで、自分の財産と言える経験に育っていくと実感している。 これからも色々なことが起こると思うが、家族の健康、自分の健康を第一に、仲良し家族でいられるように、ゆるゆるとママ業に励みたいと思う。   神奈川県 金子 佐世子さん 題名:尭年舜日〜穏やかな日々〜 子どもへ伝えたい言葉:「長男・舜が生まれて、仕事で追われていた生活が穏やかなものになり、次男・尭生が生まれて、家族が完成した。2人の母でいられることが幸せで、4人でいられる時間が最高に楽しい。」

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F.Kさん「30年前帝王切開で生まれた娘に渡した手紙」

F.Kさん「30年前帝王切開で生まれた娘に渡した...

『30年前に私の母からもらった手紙。大切な私の御守りです。同じく帝王切開で生まれた私の娘(一歳、母にとっては初孫)大きくなったら一緒に読みたいです。』   ひとみへ 最近、背も随分高くなって、あと少しでお母さんを追い越してしまいそうだね。 時々、口のきき方が乱暴になったりして、けんかもするけれど、ひとみなりに成長してきた証拠だとお母さんはいつも思っています。 (そう思っているのだけど、なかなかうまく言ってあげられなくてごめんね) 今回、先生方が良い機会を作って下さったので、ひとみの産まれた時の事を話します。 今まででも一緒にお風呂に入りながら話してあげたこともあるのでおおよその事はわかっていると思います。 ひとみがお母さんのおなかに宿ったことがわかってから、ずっと順調で、近くの病院にかかっていました。 マタニティ体操やマタニティスイミングをしたりしながら、ひとみが産まれてくるのをずっと楽しみに待っていました。 もちろん、お父さんも、おじいちゃん、おばあちゃん達もそうです。 ところが8ヶ月になったばかりの10月24日の早朝、お母さんは突然お腹が痛くなり、大出血をして、すぐに病院に行きました。 病院の先生は、はじめ、『出血多量なので輸血をしながら、お産をして赤ちゃんだけ更生病院へ送ります』と言っていました。 更生病院には小さく生まれた赤ちゃんのための設備〝新生児・未熟児センター″があるからです。 ところが、血液センターに連絡したところ、1時間後でないと、名古屋から血液を届けられないとのことでした。 血液が間に合わないので、お母さんは救急車で更生病院へ運ばれることになりました。 更生病院についたのは、まだ病院の朝の診察開始前でした。 大勢の先生や看護師さんが大急ぎでお母さんを診察して手術の準備をしてくれているのをうっすらと覚えています。 先生に『おなかの赤ちゃんが弱ってきているので、すぐに手術をして、赤ちゃんを助けます』と言われました。 帝王切開です。 こうして先生に取り上げられた赤ちゃんが、ひとみ、、あなたです。 10月24日9時40分、仮死状態でした。 手術室の中では、小児科の先生が、すぐ側に待機していて、小さなあなたを手でかかえて、手術室から階下の未熟児センターの保育室へ運んでくれました。 身長40cm.体重1.898g. 小さな小さな赤ちゃんでした。 本当に多くの人達に、お母さんとひとみは助けてもらったのです。 後で分かった事ですが、お母さんは〝前置胎盤″といって胎盤の位置が悪かったのだそうです。 もしあの時、血液が間に合っていたら、輸血をしながら近くの病院で産んでいたら、、 お母さんもあなたも生きていなかったかもしれません。 もし仮に生きていたとしても重い障害が残っていたかもしれません。 ひとみ、あなたは本当に運の強い子だと思いました。 仮死未熟児として生まれてから、その後1年半、心臓、脳、目などの色々な検査をして異常がないか調べてもらいました。 多くの先生方に御世話になりました。 そして本当に嬉しいことにどこにも異常がなく、元気いっぱいに育ちました。 それが今のあなたです。 ひとみ、これだけは忘れないでほしい。 あなたは本当にまわりの多くの人たちに助けられたのだということを。 お母さんもあなたも、これからも感謝の気持ちを忘れないようにしようね。 小学校生活ももうすぐ終わり、いよいよ中学生だね。 これからもいろいろな事があると思うけれど、ひとみのまわりにはやさしい友達、先生、そしてあなたの事をとても大切に思っている家族がいることを忘れないで、、。 頑張ってね。いつも応援しています。 お母さんより。   愛知県 F.Kさん 題名:30年前帝王切開で生まれた娘に渡した手紙 子どもへ伝えたい言葉:「30年前に私の母からもらった手紙。大切な私の御守りです。同じく帝王切開で生まれた私の娘(一歳、母にとっては初孫)大きくなったら一緒に読みたいです。」

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くきゆみさん「絶対に大丈夫」

くきゆみさん「絶対に大丈夫」

『きみは必ず力強く楽しく人生を進んでいける。その力を感じた誕生の日のこと。』   誕生の日、きみがどんなに輝かしい命の力を見せてくれたか、お話しさせてね。 初めての出産。 先生に「ちょっと大きめかな」と言われていた赤ちゃん。 予定日を過ぎても、陣痛の気配がなく、入院して促進剤を打つことになった。 だんだん強くなる陣痛。 助産師さんや付き添いの家族に支えられ、痛みというより苦しさと闘い始めたが、なかなか子宮口が開かない。 振り返れば、私にまだ心構えがなく、赤ちゃんが出てくる気にならなかったのではと思える。 まな板の上の鯉とでも言おうか、ベッドの上の妊婦、医療にすべてを委ねていたような感覚。 勝手に動いちゃいけない気がしていた。 しかし点滴を始めてからおよそ8時間、「起き上がりたい」と衝動に駆られ、椅子を借りて座る体勢を取った。 おそらくここで初めて、私の主体的な出産スイッチが入ったんだと思う。 やっとお産が進む感覚が得られた。 破水を経て分娩室に移動すると、自分では呼吸の浅さはわからなかったが、赤ちゃんも苦しくなってしまうと言われるので、途中、酸素マスクをつけてもらって必死で息をした。 そうしてきみは元気に生まれてきてくれた。 科学的にはどうかわからないけどね、のんびり者のお母さんに付き合って、お父さんが立ち会いできる日までしっかり待って出てきてくれたんだって思っているよ。 お父さんもたくさん「がんばれ!」と応援してくれたんだよ。 きみの産声を聞いて、姿が見えたときに思ったことはね、「あら、大きい」ってこと。 想像よりもずっとたくましい姿で出てきた。 出生体重は、3,678g。 お腹の中でも、しっかり育ったね。 右、左と首を動かして、まるで「ここはどこ?」と、慎重に確認しているみたいに見えたよ。 そんな視力も意思もまだ無いらしいけど、この世界を見極めて生きていく、そんな力を感じずにはいられなかった。 病院に駆けつけたおばあちゃんや、おじいちゃんたちは、みんな本当に幸せな気持ちだった。 ニコニコしてきみを眺めたよ。 大きめの耳のおかげで、新生児室の窓越し、コットの中で顔が見えなくても見分けられたよ。 泣き声は隣の部屋の赤ちゃんよりも高くて、とてもかわいいと思った。 次々に病院に会いにきた親戚たちには、よく「しっかりしてる」「賢そう」と言われたよ。 きみの生まれた姿はきみだけの最高の形。 そして、会う人を心からの笑顔にした、素晴らしい命の輝き。 お母さんが伝えたいことはね、こんなに力強く生まれてきたきみは絶対に、好きな人生を望むように生きていけるっていうことだよ。 もちろん、人生には良くないことも起きる。 身体つきがしっかりしていて、検査でも何も心配事がなくて、私はその幸運に心から感謝したけれど、これから先、病気や怪我をすることもあるかもしれない。 きみにはそれを乗り越えたり、うまくつきあって、命をまっとうする力が必ずあるよ。 心が辛くなるときもあるね。 悔やみきれない失敗をしたり、自分がちっぽけで惨めな存在に思える日もあるかもしれない。 それでも、あんなに存在感を放っていたきみは、絶対に楽しく価値ある人生を生きていけるよ。 「親の言うことなんて信じられない」って思うかな。 うーん、たしかに身内贔屓な気持ちは否定できないか。 だけどさ、人間が生まれてくるってやっぱりすごいこと。 その生まれたときを、いちばん近くで感じていたから、これくらい断言できるって信じているんだ。 きみには素晴らしい力がある。絶対に大丈夫。   神奈川県 くきゆみさん 題名:絶対に大丈夫 子どもへ伝えたい言葉:「きみは必ず力強く楽しく人生を進んでいける。その力を感じた誕生の日のこと。」

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ゆうこさん「これから生まれてくるあなたへ」

ゆうこさん「これから生まれてくるあなたへ」

『人生で一番幸せな時間それはあなたを生んで一緒に過ごした時間』   「あ!また動いた」最近日増しにあなたの胎動がはっきり分かるようになって来ました。 私は毎日お腹を擦りながらあなたと会える日を待っています。そしてこれまでの長い道のりを思い返しています。 小さい頃、私は子どもが大好きな子でした。だから、将来は必ず結婚して子どもを育てるんだと考えていました。しかし、現実は希望通りにはいかず、大人になった私は30歳を過ぎても40歳が近付いてもなかなか良い結婚相手に巡り合うことができませんでした。焦った私は高いお金を払って結婚相談所に入会し、必死になってお見合いを繰り返しました。何度も何度もお見合いを繰り返しても上手く行かず諦めかけたのですが、ついに「この人なら…」と思える相手に出会いました。ただ気になることが一つ。相手の男性も40代後半と高齢なこと。子ども欲しさに婚活をしていた私は交際期間中に、その人に子どもを作れる体かどうかの検査をお願いしてしまいました。相手の男性は快く応じてくれて検査結果は問題なし。そのあと無事に結婚できました。 しかし、その時点で私は38歳。子どもを設けるのにのんびり時間をかける訳には行きません。すぐさま不妊治療のクリニックを受診しました。そして説明を受け人工授精での妊娠を決断しました。でも、これも想像していたよりも大変な道でした。直ぐに人工授精ができるのかと思っていたのですが、その前に様々な段階があり、母体の検査やホルモンのバランスの調整を行いました。また、子宮内ポリープが見つかったのでその除去手術も必要でした。そしてついに人工授精。これも必ずしもすぐに成功するものではないのです。最初のトライでは受精卵は全滅。二回目のトライでは受精卵は余り良好な分割状態では無く、移植手術はしたものの上手く成長せず流産。ここまで何度も何度もクリニックに通ったのですが、仕事との両立は多忙の極みでした。また、クリニックにお支払いするお金もとても大変な額になっていました。本当に心が折れそうになりました。 けれども三回目のトライ、クリニックに通い始めてから約一年が経とうとした時に、ついに受精卵が良好に分割してくれました!さっそく移植手術を行い成長を待ちました。「また失敗するのでは?」という不安もよぎりましたが受精卵は確実に胎児にまで成長してくれました。それがあなたなのです。その後は少しの不安と大きな期待の日々。初めてのつわりも経験しましたが、あなたに会える期待の方が大きくて、辛くても乗り越えられました。 だけど、実はね…。私は生まれてくる子は男の子がいいなと思っていました。だからあなたが女の子だと分かった時には少しがっかりしました。でもお腹の中ですくすく成長し、今では私のお腹を元気に蹴とばしてくるあなたのことを考えるとそんなことはどうでもいいことのように思えてきました。 現在妊娠6ヶ月。外の音が聞こえるようになっているそうですね。そんなあなたに毎日話しかけています。私の声は届いていますか?元気で優しい子に育ってくださいね。 最近は実家の母に電話で子育ての思い出話を聞く機会が増えています。母は妊娠、育児をしていた頃は大変だったけれど、人生で一番幸せな時間だったと言っています。私もこれから母と同じように人生で一番幸せな時間を過ごすことになると思います。育児は大変だと聞きますが、あなたに出会うまでの苦労を思い出して一日一日を大切に育てて行こうと思っています。 あなたに会えるまであと4ヶ月。その日がとても楽しみです。そして、もっと先のことだけれど、妊娠、育児をしていた頃がとても幸せな時間だったということをいつかあなたに伝えられればいいなと思っています。   神奈川県 ゆうこさん 題名:これから生まれてくるあなたへ 子どもへ伝えたい言葉:「人生で一番幸せな時間それはあなたを生んで一緒に過ごした時間」

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藤尾さおりさん「どんなあなたでもいいよ~助産師の懺悔と決意~」

藤尾さおりさん「どんなあなたでもいいよ~助産師の...

『何かができるということもすばらしいけれど、何もできなくても、そう感じているとしても、どんなあなたでもすばらしい。』   「どんなあなたでもいいよ。生きたあなたを抱かせて」 と予定日間近のある日、信号を渡りながらふと、心の底から湧き上がってきたことを思い出す。 本気でそう思っていたはずなのに、思えていなかった自分を思い知った。 発語がないあなたの方がずっと「どんなお母さんでもいいよ」を伝え続けてきてくれた。 もしあなたがあなたでなかったら、あの先生にもあの人にも出逢ってなかっただろうし、今の仕事にもつながってなかっただろう。 「あなただからこそ」を重ねる時間の中で、ようやく「あなたでよかった」と感謝に変わっていった。 初めての待望の妊娠。 つわりはキツかったけれど、順調で、エコーの写真もかわいくてしかたがなかった。 いっぱいお腹に話しかけて、仕事でお産に立ち会う時も「こんな風に出てくるんやで〜」と一緒に介助をさせてもらった。 新生児室の赤ちゃんのお世話をしながら「この子たちと同い年かぁ」と不思議な気持ちになった。 会える日がたまらなく楽しみで、腰が痛くても、お腹の中から痛いくらいに蹴られても頭でグリグリと膀胱を押されても、胎動のひとつひとつが愛おしく嬉しくてたまらなかった。 仕事柄、いろんなお産に立ち会わせてもらうので、あれこれ考え過ぎて不安もあったけれど、だからこそ、あの時は「どんなあなたでもいい」と思わせてもらえたように思う。 陣痛が始まり、いよいよ本格的に痛くなってきた時に、テレビの音がうるさく感じ、蛍光灯の明かりがつらく感じ、人間の本能みたいなものを感じた。 「陣痛は慣れてきた頃に、ワンランクアップするよ」と聞いてはいたが、本当にその通りだった。 助産所に向かうタクシーの座席にやっとの思いで倒れこむようによくわからない体勢で乗り込んでしまい、街中を走る車窓から見えたのが夜空だけだった情景が忘れられない。 助産所に到着し、四つ這いで分娩室へ向かう。 湯船につからせてもらいホッと一息。「自分で診察してごらん」と言われ、内診すると2㎝ほどしか開いていない。 思った以上にまだまだで、朝までかかるのかと途方に暮れた。 体勢を変えたくなっても、1㎝と動くことが難しかった。 陣痛の合間のわずかな瞬間にやっとの思いで動こうとすると、また次の陣痛が押し寄せてくる。 動けないもどかしさを感じながら、私はこんな時期に産婦さんたちに分娩台への移動を促していたのかと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 結局布団の上に横向きになり大先輩に足を抱えてもらい、夫の手をひねりあげながら、恐縮と申し訳なさの中、喜びであふれる出産を終えた。 産後の入院中も驚きと発見の連続で、赤ちゃんの力、こんなにも小さいのに人間が生きようとする姿のたくましさと迫力に圧倒され、私は今まで何をしていたのか、何を学んできたのか、これまで出会ったお母さん方に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 いろんなことに敏感でなかなか泣き止まない、置けないあなたを抱っこしながら眠れない日々を過ごし、一緒に泣いて、母としても助産師としても追い詰められて「産後うつ」も経験させてもらった。 やっと落ち着いてきた頃に、発達がゆっくりで、のちに自閉症と診断された。 「どんなあなたでもいい」とあの時確かに思っていたはずなのに、なかなか受けとめることができなかった。 自分を責めてばかりいたけれど、そんな中で、少しずつ玉ねぎの薄皮を何度もむくように、私もどんな私でもいいことを落とし込ませてくれた。 24歳になった今も発語としての言葉はないけれど、手や目や文字やYoutubeで多くを語り、いきいきのびのび自由に楽しそうに暮らしている姿が輝いてみえる。 できないこともいっぱいだけど、何も語らずに大切なことを語ってくれているように思う。 深い懺悔と共に助産師としてこれまでの経験を大切に、すべての人がどんな自分でもいい、自分のままですばらしいんだと思えるような一助になっていきたいと思う。   兵庫県 藤尾さおりさん 題名:どんなあなたでもいいよ~助産師の懺悔と決意~ 子どもへ伝えたい言葉:「何かができるということもすばらしいけれど、何もできなくても、そう感じているとしても、どんなあなたでもすばらしい。」

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しおりさん「あなたは〇〇って産まれてきたの」

しおりさん「あなたは〇〇って産まれてきたの」

『無事に産まれてきてね、元気に大きくなってね、ただそれだけでいいの』   「あなたはスポーンって産まれてきたの」とよく母に聞かされていた。 どうやら私も妹もあっという間に産まれたらしい。 出てきそうになるのを必死に耐えながら病院へ向かったと言っていた。 ちなみに母自身もスポーンと産まれてきたらしい。 祖母も「まだ出てこないで」という気持ちで病院まで必死に向かったエピソードを同じように語ってくれていた。 だからあなたもいつか子供を産むときは安産よ。 そう言われてきたけれど、果たして3ヶ月後の私は何と答えるのでしょう。 スポーンだなんてウォータースライダーから勢いよく滑ってきて顔を出した子供みたいに言うけれど、母だって祖母だって痛い思いを全くしていないわけがない。 そして産むその瞬間だけ苦労したわけではない。 母は私がお腹にいると分かってすぐに仕事を辞めたと言っていた。 そういう時代だと思っていた。 しかし、例のスポーンと産んだ話しか知らなかったが、どうやら母はつわりにとても苦しんだようだ。 それでも仕事をできるだけ続けたのち辞めたという。 そんなこと、私自身がつわりを経験して母に泣き言を言うまでエピソードを聞く機会がなかった。 私は思春期に自ら命を絶ちたいと思うことが何度かあった。 スポーンと産まれた裏には私の知らない多くの思いがあったであろうことなど考えることもなく、この世から跡形もなく消えてしまいたいと思う日々だった。 その思いはずるずると近年まで続いていた。 でも自分のお腹に今、新しい命が宿って、そのお腹に手を当てる度に母の思いを感じる。 無事に産まれてきてね、元気に大きくなってね、ただそれだけでいいの。 それは母から私へのメッセージでもあり、私からお腹の子へのメッセージでもあるのかな、と考える。 母になるということは、私が私の母からの思いを受け取るということだと気づかされた。 我が子が無事に産まれ、生きていくことを願いながら、私自身も無事に産まれてここまで生きてこれたことに感謝し、これからも生きていこうと思えた。 あと3ヶ月でスポーンと産まれてくる予定の我が子も、きっとたくさんのことを感じ、考え、この世の中をどう歩こうか迷う日がくるはず。 私が感じた母としての思いをいつか伝える日が来るかもしれないし、ふとした瞬間に我が子自身が気づくかもしれない。 分からないけれど、つい恥ずかしくなって思いを上手く伝えられず、結局私もこう言うのだろうか。 「あなたはスポーンって産まれてきたの」って。   神奈川県 しおりさん 題名:「あなたは〇〇って産まれてきたの」 子どもへ伝えたい言葉:「無事に産まれてきてね、元気に大きくなってね、ただそれだけでいいの」

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畠山文子さん「いつもママを勇気づけてくれるあなたたちへ」

畠山文子さん「いつもママを勇気づけてくれるあなた...

『10年前のごめんなさいと、10年分のありがとう。』   結婚して3年経った頃、待ち望んだ赤ちゃんがようやく私のお腹にもやってきてくれました。 でも実は、妊娠がわかった時、喜びでいっぱいだったかといえばそうではありません。 妊娠を告げられた病院の帰り道、私はまるで迷子の子どものように人目もはばからず泣きじゃくっていました。 その時お腹の中にいた、そして今はとっても頼りにしている、愛しい愛しい双子の息子たち。 あなたたちが宿ってくれたことを、あの時心から喜べなくて本当にごめんなさい。 今からでもあの時の分まで、愛情をいっぱいいっぱい注がせてほしいと、そう願っています。 双子の二人を授かったのは、不妊治療の末でした。 苦労して授かったのにどうして泣くのと思われるかもしれませんが、当時の私はずいぶん疲れ切っていました。 治療はなかなか思うように進まず、少し進んでは振り出しに戻るの繰り返しでした。 希望と絶望の間を何度も行き来し、そのうち私は希望も期待も失っていました。 そんな時に「妊娠」の判定をもらい、望んでいたはずなのにパニック状態な私は、また振り出しに戻ってしまうんじゃないかという不安に襲われ、私の中に儚い命をふたつも抱えて10ヶ月も過ごすのかと考えると、怖さで逃げ出したい気持ちでした。 夫や母や姉たちに支えられながら、なんとかギリギリ気持ちを保っているような状態でした。 そんな悲観的で臆病な私とは裏腹に、お腹の二人は本当に元気に育ってくれました。 一卵性の双子はいわゆるハイリスクで様々なトラブルが予想されましたが、二人ともただひたすらにスクスクと育ってくれました。 妊娠6ヶ月くらいになると、「もうすぐね」と見知らぬおばあちゃんから度々声を掛けられるくらい、とても大きなお腹になりました。 緊急時のために早めに管理入院(双子ではよくある)させてほしいという私の願いも、順調すぎて入院させる理由が見つからないと、あっさりとドクターに断られるほど元気な赤ちゃんでした。 臆病な私にあれこれと考えさせる隙を作らないほど順調に時は過ぎていきました。 帝王切開による出産当日、手際よく手術の準備が進められ、あっという間に二人とご対面。 2600gと2500gという双子にしては大きな男の子!手術室に響く産声を聞いて私は、10ヶ月の間、緊張と不安でずっとこわばっていた全身の力が抜けていくのを感じました。 力強くおっぱいを飲む姿を見て、「強い生命力を感じるね」と看護師の方に言っていただきました。 胸に二人を抱いて私も、溢れるエネルギーを感じずにはいられませんでした。 そしてこの手で必ずこの命を守りたいと、何度も強く抱きしめました。 「もう絶対に失いたくない。」それまでのように失うことを恐れるのではなく、強い覚悟に変わった瞬間だったように思います。 今、あらためて思えば、不妊治療の経験に関わらず、全てのお母さんにそれぞれの事情があり、お腹の赤ちゃんを思っては不安になり、それでもなんとか希望を持って出産の日を迎えているのではないでしょうか。 そんなお母さんたちのことを、お腹の赤ちゃんはよくわかってくれているんだと思います。 我が家の場合、弱音を吐かせたら天下一品、落ち込むのが得意な私の性格を知って、泣きじゃくったあの病院の帰り道からずっと、余計な心配はさせないようにと精一杯の元気な赤ちゃんで居続けてくれたんだと思っています。 もうすぐ10歳になろうとしている二人。 私が少しでも元気がない様子を見せると「ママ大丈夫?」とすぐに声をかけてくれる長男。 あえていつも通り明るく振る舞ってくれる次男。 10年経っても相変わらずなママでごめんね。 二人を見習ってもう少し強くなるね。 そして10年前も今も、そんなママをいつも勇気づけてくれて本当にありがとう! もうすっかり少年で抱っこもできないけれど、命を賭けて守りたい気持ちは変わりません。愛しているよ!   神奈川県 畠山文子さん 題名:いつもママを勇気づけてくれるあなたたちへ 子どもへ伝えたい言葉:「10年前のごめんなさいと、10年分のありがとう。」

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竹内文香さん「あなたと出会えてママは幸せ」

竹内文香さん「あなたと出会えてママは幸せ」

『幸せのかたちが多様になった現代で、あなたはどんな幸せを見つけるのかな?あなたの人生が、笑顔いっぱいでありますように。』   あなたが産まれたのは2020年の年が明けた寒い冬の日です。ニュースでは「いよいよ今年はオリンピックイヤーです」という言葉が飛び交い、日本がワクワクした空気に包まれている一方で、中国では原因不明のウィルスが流行り始めていました。 ⁡ ただの会社員だったママは、母親になり、人生が180度変わりました。 あなたと出会うまでの話をしたいと思います。 ⁡ 結婚前は毎日終電近くまで働き、仕事漬けの日々でした。毎日満員電車に飛び乗り、ヒールを履き重たいバッグを持って走り回っていました。 食事はだらしなく、朝ごはんはクッキー2枚とか、夕ご飯はいつもコンビニ。 ⁡ 自炊をするやる気もなくて、いつも体はだるく、髪もお肌もパサパサで、すごく太っていました。 ある日、ストレスで顔中に蕁麻疹が出てしまいました。ブツブツだらけの自分の顔を鏡で見たときのみじめな気持ちは忘れられません。 ⁡ こんなママを変えてくれたのが、パパとの出会いです。パパは、車の運転が上手で話題が豊富で、少しぽっちゃりしてるけどとっても優しい。話していると時間があっという間で、デートは最高に楽しかったです。 ⁡ パパといたら人生面白くなりそうだなぁと思い、お付き合いを始めました。出会った頃からパパは「家庭を持ちたい」と言っていて、プロポーズされた時はパパの夢を叶えてあげられると思いすごく嬉しかったです。 ⁡ あなたを授かったのは、結婚して2ヶ月が経った頃でした。突然の妊娠に不安はあったけど、早く子育てがしたかったので、パパと一緒にとても喜んだよ。お腹の子はどんな子かな、どんな顔をしているのかな…と、毎日パパと話していました。安産のために、運動や食べ物すべてに気を配りました。あなたのことを考えなかった日はありません。 ⁡ つわりは毎日辛かったけど、周りはみんなママのことを労ってくれました。パパは「通勤はグリーン車にしたら?」とお金をたくさん出してくれたし、電車に乗れば見知らぬ人が席を譲ってくれました。駅で嘔吐したときは、駅員さんが優しく介抱してくれました。あなたはお腹にいた頃から社会に見守られ、大切にされて、大きくなったんだよ。 ⁡ いよいよ迎えた出産当日。陣痛はものすごく痛かったけど、あなたは3時間も経たずに産まれてきてくれましたね。お顔を見たときは「やっと会えたね」という気持ちでした。 小さくて儚いのに、産声は力強い。命が輝いている、という言葉はまさにこの瞬間を指しているようで、胸がいっぱいになりました。 ⁡ 出産からもうすぐ3年。 ママの生活はそれまでと別人のように変わりました。 あなたと思い切り走り回れるように、足元はいつもスニーカー。抱っこした時泥んこがついてもいいように、高い洋服は着ません。あなたが転んだらすぐに駆けつけられるように、ズボンばかり履いています。 あなたと朝から元気に思い切り遊べるように、朝ご飯もモリモリ食べます。 ⁡ 毎日疲れた顔で働いていたあの頃のママは、もうどこにもいません。 ヒールを履いて忙しくオフィス街を歩く日々は、もうママには訪れないでしょう。懐かしむことはあれど、寂しくはありません。 ⁡ なぜなら、あなたにオムツを履かせようと追いかけ回したり、お漏らしを洗濯したり、ご飯を食べたり、そんなひとときがとても愛おしいからです。あなたの存在は、ママの幸せそのものです。 ⁡ あなたが産まれた2020年は、みんなが自分の幸せを見失いかけた一年でした。 自殺者は増え、子どもの不登校、虐待が過去最多となり、大人も子どもも苦しそうでした。 ⁡ このような年にあなたが産まれたことに、特別な意味を感じています。 大変な時代に生まれたからこそ、幸せを貪欲に追い求めてほしい。パパとママはずっとあなたの応援団です。長い人生、あなただけの幸せを見つけてね。   神奈川県 竹内文香さん 題名:あなたと出会えてママは幸せ 子どもへ伝えたい言葉:「幸せのかたちが多様になった現代で、あなたはどんな幸せを見つけるのかな?あなたの人生が、笑顔いっぱいでありますように。」

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 前田祐子さん「あなたが生まれるまでの36時間」

前田祐子さん「あなたが生まれるまでの36時間」

『大きな危機を乗り越えて。元気に生まれてくれてありがとう。』   大きくなったあなたへ。 今日はあなたが生まれた時の話をします。 あなたがお腹にやってきたのは、2017年の秋。 お母さんとお父さんが結婚してから8年目、赤ちゃんを授かるために病院に通い始めてから6年が経った頃でした。 あなたがお腹にいるとわかった時、すごく嬉しかったけれど、無事に生まれてくるか不安で仕方ありませんでした。 そんな不安とは裏腹にあなたはお腹の中ですくすく育ち、いつも病院の先生に「元気な赤ちゃんですね」と言われていました。 標準よりも少し大きめに育っていたあなた。 早く生まれないと、難産になっちゃうかも!そう思っていた出産予定日一週間前、7月16日の未明。 なんだかお腹がギューッとされているように痛い。少しずつ赤ちゃんがお腹から出る時に起こる痛み、そう陣痛が始まったのです。 そこからは痛みとの戦い。 それでもなかなか本格的な陣痛にはならず、痛いけれどすぐ 終わってしまったり、痛いけれど間隔が長ーく空いてしまったり。 そして一日が終わり迎えた夜、それまでの痛みとは比べ物にならないほどのお腹の痛みが波のように襲ってきました。 隣ですやすや寝ているお父さんに助けを求める余裕もないままに、ひたすらベッドで痛みに耐えること一晩。 一睡もでき ないままに迎えた早朝、病院へ。そろそろ生まれるかも!とそのまま入院し、痛みに耐えながらその時を待ちました。 お母さんはその時思っていました。 「もう病院に着いたし、一安心。お産も進んでいるし、後は生むだけ!」その後に起こること など、考えもせずに。 病院に着いて4時間ほど経った頃でした。 さぁいよいよ産まれる、と分娩台へ移動。するとなんだか痛みが弱まってき たような感覚が。 そして赤ちゃんの心拍を測る機械から、けたたましい音が。 急に周りがバタバタし始めて、お医者さんもやってきました。 「大変です。陣痛が弱まって、赤ちゃんが苦しい状況です。羊水も濁ってしまっていて、このままでは赤ちゃんが危険です 。」 「陣痛促進剤を使ってお産を進めます。それでもうまく進まなかったら、緊急で帝王切開に切り替えます。」 突然陣痛を起こす点滴が始まり、お母さんは大混乱。 点滴が効いて陣痛が起きたら、いきんで赤ちゃんを出さなければ いけないに、パニック状態でどうやって力を入れたらいいのかわかりません。 気がついたら、その時病院にいた3人のお医者さん全員が周りに集まっていました。 一人は上からお腹を押し、一人は機械で赤ちゃんをひっぱり、一人は陣痛に合わせて「いきんでー!」と指示をする、30分前には想像もしていなかった状況が繰り広げられていました。 ちなみにお父さんもその場に立ち会っていましたが、できることはなくただただ祈るだけだったとのこと。  何度いきんでもなかなか出てこず、この陣痛の波で産まれなかったら帝王切開に切り替えるという最後のチャンス、その時。 やっと何かが出てくる感覚がして、赤ちゃんを出そうと力いっぱいいきみました。 すると...「頭が出ましたよー!」助産師さんが大きな声で教えてくれました。 下を見るとあなたの頭が見えて、すぐに元気な泣き声が。 お母さんは思わず泣いていました。 あぁ、無事に生まれてくれたんだなぁ。苦しい中でも頑張ってくれたんだなぁ。 そしてお医者さん、助産師さん、看護師さん、沢山の方々に助けられてあなたを生むことができたんだなぁ。  その後処置を終えたあなたは、お母さんの胸元にやってきました。 あなたを抱いた時、今まで生きてきた中で一番温かく幸せな気持ちになったことを昨日のことのように覚えています。  7月17日の13時19分、あなたは大きな危機を乗り越えてお父さんとお母さんの元にやってきました。 振り返ると、あなたが今ここにいる、それだけで奇跡なのだと思います。 元気に産まれてくれてありがとう。 そして、今日も元気でいてくれて本当にありがとう。   神奈川県 前田祐子さん 題名:あなたが生まれるまでの36時間 子どもへ伝えたい言葉:「大きな危機を乗り越えて。元気に生まれてくれてありがとう。」

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もえちゃんママさん「あなたは私のヒーロー」

もえちゃんママさん「あなたは私のヒーロー」

『いつも怒ってばかりでごめんね。そんなママのことをいつも大好き!って抱きしめてくれてありがとう。ママも大好きだよ。』   早く起きなさい!準備しなさーい!! そんな私の怒号で始まるあなたの一日。 あなたは毎日私に怒られてばかりで「ママもえのこと好き?」ってよく聞いてくるよね。 大好きだよ。ぎゅー!って素直にしてあげられたら良いのになんだか照れ臭くてそれができない私。 けどねもえちゃん、覚えていてほしいことがあるの。 私はあなたのことが大好き、そしてあなたは私にとってかけがえのない世界でたった一人のヒーローだってこと。 私の母(ばぁば)は子供が大好きで世話好きで裁縫も料理もとっても上手だった。 地元の関西から離れて関東で働いている私の事をいつも応援してくれていて、結婚が決まった時もとても喜んでくれて、素敵なおばあちゃんになってくれるだろうななんて思ってた。 でもそんなばぁばにがんが見つかり、思い描いていた明るい未来は一瞬にして崩れ去った。 正直もうそんなに長くは生きられないと医師から言われていたけれど、少しでもばぁばの生きる希望になればと働きながら婦人科に通い、薬を飲んだり注射を打ってようやくあなたを授かることができた。 どんな子が生まれてくるかな、名前はどうしようかな、なんて一緒に絵を描いたり服はこれが可愛いかな、なんて言いながら病院のベットで希望に満ち溢れた楽しい話を沢山した。 生まれたらすぐ会えるようにとばぁばと同じ病院に通院し始めた矢先、ばぁばは天国に旅立ってしまった。 あなたを見ることも抱くことも叶わぬまま。 私はその時妊娠9ヶ月だった。 1番の味方だった大好きなばぁばがいなくなって私はもちろん、じぃじや家族皆んな悲しみでいっぱいだった。 毎日泣いて泣いて真っ暗な世界に閉じ込められたような日々だった。 でも1ヶ月後、あなたは元気に生まれて来てくれた。 初めての出産なのに4時間で生まれてきてくれたから関東にいたパパは立ち合えなかったけど、でもそのかわり、分娩室の外で待っていたじぃじが生まれて間もないあなたを抱っこしてくれた。 毎日毎日泣いていたじぃじの久しぶりの笑顔を見ることができた。 あなたが生まれた瞬間、私達の真っ暗だった世界にとっても明るい綺麗な一輪の華が咲いた。 あなたが生まれてからの日々は初めてのことだらけでとっても忙しく悲しさなんて感じる暇さえ与えてくれなかった。 じぃじや親戚、皆んなであなたのお世話をしてあなたの笑顔や可愛い泣き声に癒され、皆んなはまた明るい日常を取り戻すことができた。 今は3人姉弟の一番お姉さん。 下の子二人の世話に追われて、寂しい思いをさせてしまってごめんね。 「家族の中で誰が一番好き?」と尋ねるあなたに「皆んな大好き!」と答えると不満そうなあなた。 でもね、私のヒーローはあなただけ。 真っ暗で悲しみに溢れた世界から私達家族を救いだしてくれた、世界でたった一人のヒーロー。 あなたは笑顔や泣き声でぽっかり空いた心の穴を埋めてくれた。 私に将来の夢を与えてくれた。 じぃじに生きる希望を与えてくれた。 本当にありがとう。 あなたはばぁばに会うことはできなかったけど、ばぁばはプレゼントを置いていってくれたよ。 そう、それはあなたの名前。 人生で一番最初にもらう素敵なプレゼント。 萠ゆる華のような素敵な人生を。 萠華、生まれて来てくれてありがとう。 私の夢はあなたの子供のお世話をすること。 初めての子育ては大変で、ばぁばがいてくれたらなと思うことが沢山あったから、私はあなたにそんな思いさせないように頑張って長生きするね。 あの日からもうすぐ7年。 今までもそしてこれからもあなたは私にとって、私達家族にとって、世界でたった一人のヒーローだよ。 悲しみから救ってくれて、ありがとう。 生きる希望を、ありがとう。 生まれてきてくれて、ありがとう。   神奈川県 もえちゃんママさん 題名:あなたは私のヒーロー 子どもへ伝えたい言葉:「いつも怒ってばかりでごめんね。そんなママのことをいつも大好き!って抱きしめてくれてありがとう。ママも大好きだよ。」

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岸千尋さん「大絶叫の中のありがとう」

岸千尋さん「大絶叫の中のありがとう」

『あなたが生まれてきてくれたから、お母さんは心からありがとうが伝えられました。』   幼稚園で働いていた20代。 毎月のイベントでお誕生日会があり、子どもたちは自分の誕生月を楽しみに待っている。 お誕生日会当日の子ども達は、髪型を可愛くしてもらったり、はにかむような表情をみせてくれたり、その一つ一つの姿がとっても可愛くて、私も毎月楽しみだった。 おめでとう!ありがとう!が飛び交う日。 でも、本当にありがとうを伝える相手は…?と、職員間で話し合った時、お家の方を1日招待し大切な日を一緒に過ごしてもらおう!となった。 そして、お子さんの好きなところ、生まれてきたときのこと、名前の由来など、みんなの前でお話ししてもらおうと。 生まれてきてくれてありがとう。 産んでくれてありがとう。 この時間がとてもあたたかく、時にみんなで涙を流したことを現場を離れた今でも思い出します。   当時の私は、まだ独身でお母さんってすごい!こんなに一人一人のエピソードが300人近く…と、圧倒されるばかりでした。 将来の自分はどうなるんだろう? そんなことを考えていました。 教え子たちに【お家の方にありがとうを!】と伝えているくせに、肝心な私は恥ずかしくて言えずにいました。   そんな私も7年前、長男を迎えることに。 陣痛が始まった。と連絡すると、両親が駆けつけてくれました。 分娩台に移動する際にお母さんもどうぞ〜!と母も、急遽立ち会ってもらうことに!!! 子宮口最大で分娩台に乗ったので もうお願い〜!痛い〜!辛い〜!産むのやめる〜!一回休みたい〜!と、苦しく、もがき弱音を吐きながら涙を流していると、しっかり!と母が手を握ってくれました。 その手があたたかく、どれだけのパワーが伝わってきたか!! おかーさーん! 母になる直前に、おかーさーん!と叫ぶ私。 陣痛の間の息継ぎしている間に途切れつつも お母さんも こんなに大変だったのーー?? と絶叫しながら聞くと   母は涙目で、そうだよ!! 3回も味わったんだから!!の答え。   こんなに苦しい中、産んでくれたんだ!と思ったら、その時に改めて実感し、お母さん!ありがとうーーー!!と叫びながら、私はお母さんになりました。 両親がいたから、今の私がいる。 大変な思いをして産んでくれた母と、厳しくもいつも遊んでくれていた父を思うと、自分を大切にしようと思えます。 子どもたちを大切に育てようと強くなれた初めての日でした。 お母さんにしてくれてありがとう。 生まれてきてくれてありがとう。 大切な気持ちを教えてくれてありがとう。 そして来春、母と同じように3人目の出産に挑みます。   神奈川県 岸千尋さん 題名:大絶叫の中のありがとう 子どもへ伝えたい言葉:「あなたが生まれてきてくれたから、お母さんは心からありがとうが伝えられました。」

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菜々子さん「最愛の君へ」

菜々子さん「最愛の君へ」

『月並みだけど、産まれてきてくれてありがとう。 いつか読んでくれたら嬉しいな。正直な気持ちです。』   か細い声で泣いた後、助産師さんがお腹の上に乗せてくれたのが初対面。 「うわさでは感動するはずだけど・・・何も感じないのは疲れているせいかな・・・」とぼんやり考えていた。 産んだら母性が湧き出てくるのだと思っていたけれど、全くだったのよ。 君がお腹の中にいると分かった時から「最高の子育て」をすべく何十冊も育児本を読み、夜泣きやイヤイヤ期などへの対応も頭に叩き込んで、あらゆる育児アイテムを揃え、準備は万端。 素敵な産院で優しい夫が見守る中、痛みも少ない無痛分娩で愛しい我が子と対面だ!と思っていてね。 予想は見事に外れたよ。 明け方の陣痛で麻酔医が不在。無痛どころか激痛で、後半は記憶がないくらいだった。 退院後は家事と仕事と、これまた想定外の夫不在のワンオペ育児。 そして一番の想定外は「愛おしい」が生まれない自分の心。 数時間ごとの授乳、昼夜問わずの泣き声、病気がちな君、眠れない日々。想像上は「楽勝」だったけれど、とんでもなかった。 「母親として生きていくって何て辛いんだ、『母性が湧き出る方法』なんて本には書いてなかったし・・・私は子育てが苦手なのか・・・どうしよう、ちゃんと育てられるのかな・・・」と真っ暗な迷路に迷い込んでしまった。 でも結論から言えば全くの杞憂に終わって、必死に育てているうちに不思議と君の仕草や寝顔、屈託のない笑顔の虜になってしまったよ。 そして六ヶ月が過ぎ、またまた予想だにしない事態。 君は生まれつきの障害で手術する事になった。原因の一つは妊娠中の食事の偏りだった。 手術室に運ばれていく小さな体、術後の痛みで泣く君の声に、申し訳ない気持ちでいっぱいで。 手術は成功し無事退院できたけど、その出来事で思い知らされた。 君の体の全ては、私が食べるものから作られていたんだと。 そして君の命の安全はもちろん、心の健やかな成長も私に懸かっているんだという事。考えてみれば当たり前なんだけど。 「これは責任重大だ!しっかりしなきゃ。この子を絶対に幸せにしたい。」と思ったの。 それ以降も相変わらず「育児が苦手」な事に変わりなかったけれど、君と一緒にたくさん学んで共に成長しているんだと感じたし、何より君がいてくれる事で寝顔や笑顔に癒され、頑張れているよ。 私の価値観も大きく変わってね、正直に言うと、君が生まれる前は100年後の事なんてあまり真剣に考えていなかった。 でも今は気付くと、100年、200年先の未来に思いを馳せている。 色々な世界危機が現実のものになりつつある今、私は大人として何ができるだろうか。 君が活躍している未来の地球が、幸せで満ちている世界であって欲しい。そのために何が遺せるだろうか、と。 君の寝息を聞きながら今も考えていて、もはやそれが生きる原動力になっているよ。 毎日唇を尖らせては私を困らせ、毎晩「ママ大好きよ」とささやいてくれる君へ。 もう耳たこだと思うけど、ママは頑張るからね。大好きよ。ありがとう。   東京都 菜々子さん 題名:最愛の君へ 子どもへ伝えたい言葉:「月並みだけど、産まれてきてくれてありがとう。 いつか読んでくれたら嬉しいな。正直な気持ちです。」

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N.Tさん「毎日、泣きたくなるほど」

N.Tさん「毎日、泣きたくなるほど」

『あなたたちがいる毎日は、妊娠する前に想像していたよりもずっと大変で、それ以上に幸せで、大切な時間です。』   私には三歳と一歳の二人の子どもがいる。 この春からワーキングマザーとして仕事に復帰した。 日々「一日が三十時間くらいあれば良いのに!」と現実離れしたことを考えながら、よくある日々を慌ただしくも楽しく過ごすことができているのは、間違いなく家族の協力と子どもたちの存在があってこそである。 今はまだ幼く、母親の私が何を考え、二人に何を願っているのかを直接伝えることは難しい。なので、二人に向けた手紙として、今の思いを残しておこうと思う。        子どもたちへ いつかあなたたちに、「自分が生まれるときってどんな風だったの?」と聞かれたら、「あなたたちは二人ともお父さんとお母さんが願って、願って、体外受精でようやく授かることができた奇跡だよ!」と素直に伝えようと決めている。 昔から子どもが好きで、結婚したら子どもを授かることが理想だった私(お母さん)は、結婚して三年近く、その理想を叶えられず毎日のように泣いていた。  自分よりも後に結婚した友人や、芸能人のおめでたの話題を耳にする度、整理できない感情に苛まれ、その負の感情を夫にぶつけてばかり。 誰かと比べるものではないと頭では分かっていても、妊娠できないことを知る度に、自分自身が否定されている気分になってしまったのだ。 (今考えると夫も災難だったな・・と反省している。) このままでは、せっかく家族になりたいと思った夫との関係も壊れてしまう、そう思って本格的な不妊治療を始めたのが結婚二年目。 それでも明確な不妊の原因は解明できず、初期の治療では残念ながら授かることができずに、治療のステップは上がっていった。  ついに体外受精へ進むことになった時、私の中にあったのは「これで結果がでなければ、私たちは一生子どもができないのかもしれない」、という諦めの混じった冷静な感情だったのを覚えている。 度重なる通院による遅刻早退、服薬、自己注射・・・会社の化粧室で注射をする時間はとてつもない緊張感だった。 それでも、“赤ちゃんに会えるかもしれない”という期待だけで、注射の内出血も採卵の全身麻酔による副作用も気にならなかった。 二回目の移植でお姉ちゃんの妊娠が判明した日、医師からの説明を聞きながら全身の力が抜けたあの感覚は、今も鮮明に思い出すことができる。 それは妊娠周期を重ねるごとに喜びになり、出産当日、産声を聞いた瞬間、痛みも疲れも一瞬消えてしまうほど“可愛い”という感情で胸が一杯になった。 お姉ちゃんが無事に生まれ、数ヶ月が経つ頃には、早くも自分の中で“凍結していた受精卵で再度体外受精をする”ことを決めていた。 一人目でこんなにも私も周りも喜びに満ちているのであれば、家族が増えたらきっともっと幸せだ、とシンプルに思えたからだ。 幸運なことに再び授かることができ、昨年、私たちは四人家族になった。 「子どもは授かりものだから」「まだ若いし、そんなに焦らなくても」不妊治療をすると、色んな声が聞こえてくる。 子どもの有無が幸せの基準ではないし、経済的な負担も決して軽くはない。でも、周りの声が私を幸せにしてくれる訳ではない。 私たちは自分の意思で不妊治療をすると決めたからあなたたち二人の親になることができ、今が幸せだと胸を張って言える。 と言いつつも、現実はそれほど綺麗ではなく、大声で怒る朝や、一切の気力を失う夜も毎日のようにある。 それでも、あなたたちの楽しそうな笑顔や拙いお喋り、穏やかな寝顔を見られるだけで、何があっても頑張ろうと思えるのだ。 親になり、報道で目にする子どもの悲しい事件や事故の話題が他人事ではなくなり、見る度に胸が苦しくなる。 ありふれた、ごく当たり前の日常は、思ったよりも脆く、明日が約束された未来ではない。 泣きたくなるほどの“普通の”幸せをくれる二人に。 私たちを親にしてくれてありがとう。二人と過ごす毎日が、幸せだよ。   東京都 N.Tさん 題名:毎日、泣きたくなるほど 子どもへ伝えたい言葉:「あなたたちがいる毎日は、妊娠する前に想像していたよりもずっと大変で、それ以上に幸せで、大切な時間です。」

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金後葵美子さん「8歳になったきみへ」

金後葵美子さん「8歳になったきみへ」

『お母さんを選んでくれてありがとう』   東京で生まれ育った母ちゃんと、広島で生まれ育った父ちゃんは、東京の会社で出会いました。 母ちゃんから声をかけて始まった交際。4年間の交際を経て、東日本大震災のあった2011年に広島へ引っ越し、そして結婚しました。 しばらくは、母ちゃんもお仕事をしました。 そして2年経った頃に「そろそろ赤ちゃんを迎えよう」と父ちゃんと話して妊活を始めましたが、その頃の母ちゃんはお仕事で帰りが遅く、体の調子がよくなかったのもあって、なかなか赤ちゃんが来てくれませんでした。 そこで父ちゃんと話し合ってお仕事を辞めると、3ヶ月後に赤ちゃんがお腹にいることが分かりました。 それが彩華、あなたです。エコーに映ったあなたを見たら本当に嬉しくて、父ちゃんにも直ぐに報告しました。 初めはつわりで気持ち悪さもありましたが、父ちゃんの協力もあって無事に出産の日を迎えることができました。 ちょうど日付が変わる夜中にお腹の痛みを感じ、痛みの間隔が5分くらいだったので直ぐに病院へ連絡しました。 その時は、母ちゃんはババのお家でお世話になってて、父ちゃんは西条の自宅にいたので、直ぐに父ちゃんへ電話してババの家に来るようお願いしました。 それから父ちゃんと車で病院へ行きましたが、お腹が痛くて受付へ歩くのもやっとでした。 初めは順調に開いていた子宮口も、最後の1センチがなかなか開かず、母ちゃんはあまりのお腹の痛さに泣き叫びました。 その声が病院中に響いていたようで、翌日噂されてるのを耳にしてちょっと恥ずかしかったです。 父ちゃんもどうしたら良いか分からず、看護師さんに言われるまま母ちゃんの背中をさすってました。 夜中に始まった陣痛も気づけばお昼。 ようやく分娩室へ移動したものの、なかなか彩華は出て来なくて、母ちゃんも体力をかなり消耗していました。 最後は助産師さんにお腹を押され、やっと彩華が出てきました。 小さな小さな彩華が腕の中に来た時は、無事に生まれてくれことにホッとしました。 父ちゃんも、差し出した指を彩華が握ってくれたことに感動して、涙が出たと言っていました。 彩華の名前は、父ちゃんと母ちゃんの2人で考えました。 彩のある華やかな人生を歩んでほしい、そんな願いを込めました。 もうとにかく可愛くて可愛くて。 父ちゃんが引くくらい、母ちゃんは彩華を可愛がりました。 ですが、昼間はたくさん寝るのに、夜はずっと起きていた彩華。母ちゃんは睡眠不足でとても辛かったです。 本当は可愛くて、とっても大切で大好きなのに、なかなか泣き止まないあなたに何もしてあげられない自分が情けなくて、不甲斐なくて。 ある日、泣いているあなたの顔を見て、ついに小さなあなたのほっぺを叩いてしまいました。 それから母ちゃんは、あなたが泣くと叩くようになってしまいました。 時には顔や体にアザができることもありました。 父ちゃんは「このままでは家族が危ない」と思い、母ちゃんを助けるために料理をするようになりました。 初めて作ってくれたのが、週末のお昼のチャーハン。それから段々と料理の腕が上がって、今では何でも上手に作ってくれます。 父ちゃんに感謝です。 母ちゃんもこのままではダメだと思って、色んな勉強をしました。 痛い思いをさせて、怖い思いをさせて本当にごめんね。 母ちゃんは、何度も母ちゃんを止めたいと思いました。 もっと優しくてあなたを大切にしてくれる人に育ててもらった方が良いとも思いました。 でも、できなかった。 あなたの屈託のない笑顔、すやすやと眠る姿を見ると、あなたとずっと一緒にいたい、最後まで成長をしっかり見届けたい、そう思い直して、今日まで母ちゃんを続けることができてます。 母ちゃんを選んで生まれてきてくれてありがとう。 いつも助けてくれてありがとう。 これからもずっと母ちゃんでいさせてください。 心より愛する娘へ、母より。   広島県 金後葵美子さん 題名:8歳になったきみへ 子どもへ伝えたい言葉:「お母さんを選んでくれてありがとう」

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