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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

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【銅賞】林ひかるさん「生まれたこと、生きること」

【銅賞】林ひかるさん「生まれたこと、生きること」

『今日も元気に笑顔をいっぱい見せてくれてありがとう。生まれてきてくれて、生きていてくれてありがとう。』 出産は、私を強くした。 どこにいても誰といても、何故だか常に心細く、一人では何もできない私が、唯一、私だけで成し遂げたことが「出産」である。そのことが誇りであり、自信に繋がった。また、笑顔も増えたし、病気とも上手に付き合えるようになった。何より、大好きな息子が生まれたことが、家族が増えたことが嬉しい。そして、毎晩一緒にお風呂に入り、一緒に眠れることがとても嬉しい。 息子を妊娠した日のことは、しっかり覚えている。すぐに会社にいる夫に連絡をして、電話で報告をし、一緒に喜んだ。その後、病院で心拍が確認できて、さらに喜んだ。その時、エコーに映し出された小さい小さい息子は、まだ人になる前の胎芽と言う名前であることも知った。それが、2020年の春のことだった。 その春が来る前の冬は、酷く暗い冬だった。私が抱えている双極性障害が悪化して、生きていることが辛く、死んでしまいたいと思った。そして、入院もした。とてもとても長い冬に感じた。 そのもっと前の冬も長かった。 夫がまだ夫ではない頃のことだ。大学3年生の頃、彼は悪性リンパ腫を患った。彼の腰にできたその癌のせいで、一時は歩くことも困難になった。今は完治し、手足に痺れこそ残るが、車も運転することが出来るし、2人で一緒に息子のお散歩にも行くことも出来る。夫は「あの時、放射線治療ではなく、薬を選んでよかった」と、笑って言う。 だから春が来て、あなたの命がお腹に宿って、本当に本当に素敵な春が来たと本気で思った。 息子が生まれた季節も、同じく冬だった。 コロナ禍での出産は、立ち会いも面会もなく、私は孤独と不安で一杯だった。でも、生まれたあなたは、見たこともないくらい素敵なピンク色で、ふわふわでほかほかで、すごく温かかった。世界の幸せ全てを49cmの体全部に閉じ込めて、ふえーんふえーんと泣いて、私に挨拶してくれた。 「こんなに脆い生き物を育てていけるのか」と、不安に感じる日々もたくさんあったが、今は生まれた体重の4倍もの大きさで、息子は私に笑いかける。その笑顔に私もつられて笑う。もう私は、孤独に胸を押し潰されることはない。 青空くん。 いつかあなたが大人になって、世間の波に飲まれたり、重圧に押しつぶされそうなことがあっても、どうか忘れないで欲しい。 あなたには、父と母がいる。あなたが望めば、いつでも話を聞き、背中を押し、側にいる、父と母がいる。だから安心して、このまますくすくと育ち、青空のように雲一つない晴れ晴れとした人生を送って欲しい。そのために私たちは生きている。   神奈川県 林ひかるさん 題名:生まれたこと、生きること 子どもへ伝えたい言葉:「今日も元気に笑顔をいっぱい見せてくれてありがとう。生まれてきてくれて、生きていてくれてありがとう。」

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【奨励賞】溝渕淑子さん「「愛してる」のはじまり」

【奨励賞】溝渕淑子さん「「愛してる」のはじまり」

『愛してるよ。どんなときも、あなたを理解・尊重・応援するから、自分らしく人生を思いっきり楽しんでね。』 愛してるよ。大好きだよ。 あなたにそう語りかけない日はない。 愛してると言える自分になれたことは、あなたが産まれて最初にもらったギフト。 愛って、深くて重みのある言葉だから、それまで口にしたことがなかった。言葉だけ上滑りしてしまいそうで。 あの日、産まれたばかりのふにゃふにゃのあなたを抱き寄せたとき、愛おしさで胸がいっぱいになった。 産まれてきてくれてありがとう。待ってたよ。この世界へようこそ。よくがんばったね。 いろんな想いがあふれて、愛してるって言葉が自然と出てきた。 愛してるよ。どんなときも、どんなあなたでも。 それをあなたに伝える手紙であり、私自身が愛に立ち返る原点が、この作文。 あのね、あなたは私たち夫婦が心から願って望んで授かった命だよ。不妊治療を重ねて、辛く悲しい出来事を乗り越えて、あなたがお腹に宿ったとき、本当に嬉しかった。 お母さんはお父さんと出会って、恋人になって夫婦になって、人生がすごく楽しくなったんだ。子どもがいたらもっと楽しいだろうな。子どもと一緒に家族の思い出をたくさんつくっていきたい。そう思って、あなたが来てくれるのを待ち望んでいたの。 10月8日の妊婦検診で、お股をぱかーんと開いて、僕は男の子だよって早めに教えてくれたね。 お父さんなんて言ったと思う?「男の子ならスパルタで大丈夫だね!」だって。お父さんと一緒に身体をたくさん動かそうね。 12月4日、はじめて胎動を感じた日。 わー!動いた!という興奮のあとに訪れたのは、あぁ本当にここにいるんだというあたたかな実感。 それからは何度もポコポコと力強く元気に動いてくれたね。あなたとお話ししてるみたいで嬉しくて、気づけばいつもお腹をさすってた。 そして迎えた4月7日。 出産の喜びを思う存分に感じたくて、無痛分娩を選んだ。麻酔で痛みは和らいでいても陣痛の波が強くなっていくのはわかった。 いきみ始めてからは、お父さんがずっと手を握って、いける!いいよ!その調子だよ!と応援してくれた。 飲み物を渡してくれたり、頭を冷やしてくれたり、一緒にずっとがんばってくれた。心強かったなあ。 子宮口が全開になってからが大変だったね。出ていきたいのに狭いよー!通れないよー!って思ってたかな。何度も何度もいきんで、その度にお父さんが励ましてくれて、1時間が経った頃。 頭見えてるよ!もう一息だよ! そう言って助産師さんが、手鏡であなたの頭を見せてくれた。手を伸ばして、そっと触らせてくれた。 ああ、たしかにここにいる。もう手が届くところまで来てるんだ。そう思うと不思議と力がわいてきた。 陣痛の波に合わせて、あなたの産まれ出てこようとする力を信じて、力を振り絞っていきんだ。 お父さんがずっと寄り添ってくれて、助産師さんが3人がかりでお腹を押して、お医者さんが吸引してくれて。 たくさんの人があなたとお母さんを後押ししてくれて、15:37、あなたはこの世界に産まれ出てきた。 へその緒のつながったままのあなたを、自分の手で迎えにいって、そっと胸に抱く。 あったかくて、ふにゃふにゃで、か細い声で力いっぱい泣くあなたが、胸の中で安心したように穏やかな表情に変わっていく。 大丈夫だよ。お母さんがそばにいるよ。そう語りかけながら、頭を優しくなでる。 その横でお父さんが笑っている。 それがあなたが産まれた日。3人家族になった日。 あれから4ヶ月が経って、出生時から倍の体重になったあなた。寝返りができるようになったね。あっというまに上手になって、目が離せなくなってきたよ。 健やかに成長して、できることが増えていくのが何より嬉しい。 でも忘れないで。私も忘れないようにするよ。 何かができるから愛されるんじゃない。何ができてもできなくても、あなたを丸ごと愛してるってこと。 お父さんとお母さんにとって世界一の息子だよ。 産まれてきてくれてありがとう。愛してるよ。   東京都 溝渕淑子さん 題名:「愛してる」のはじまり 子どもへ伝えたい言葉:「愛してるよ。どんなときも、あなたを理解・尊重・応援するから、自分らしく人生を思いっきり楽しんでね。」

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【ぐるっとママ横浜賞】志賀志穂さん「つながっていく命」

【ぐるっとママ横浜賞】志賀志穂さん「つながってい...

『あなたは確かに愛されて産まれてきた。血の繋がらない息子を本気で愛する覚悟は、あなたに宿る生母さんの命をも愛することだ。』   私たちは血縁によらない特別養子縁組の家族です。 3歳の息子と一緒に賑やかに楽しく暮らしています! 夫婦で養子縁組の選択肢を考えた大きなきっかけが、出産の喪失体験でした。 出産が出会いでなく喪失? 不思議に思われたかもしれませんが、私の出産は赤ちゃんの産声が聞けない死産でした。 死産は普通のお産と一緒で、陣痛を起こし出産します。 違っている事は1つだけ。わが子は既に母のお腹で亡くなっています。 そんなわが子を取り上げて下さった医師が、養子縁組の民間あっせん団体の代表でもある院長先生でした。 私たち夫婦は出産数日前から先生のご配慮で、病院の案内地図には載ってない特別室に入院。 入院中に聞いた話は衝撃で「志賀さんの前の妊婦は高校生で、ここは訳ありの妊婦のための安全で守られた部屋なんだ」。 私は自分の出産数日前に、初めて特別養子縁組という制度を知る事になったのです。 いよいよ出産日。その日はお産が多く、隣の陣痛室からハッピーバースデーの歌と拍手が聞こえてきます。 ハッピーバースデーの歌を聴きながら陣痛の痛みに耐え、ぼんやりと考えていました。 「高校生の女の子は他人に託す我が子をどんな気持ちで産んだのだろうか」。 陣痛促進剤のMAX量を投与しても破水が始まらずいたたまれなくなって「命を守れず産むことすらできないダメな母親なの!」と先生へぶつけてしまうと、静かな声で言いました。 「親が先に心を決めないと赤ちゃんは産まれてこれないよ。親としてお腹の赤ちゃんに話しかけてみなさい」。 夫婦でお腹をさすりながら「ありがとう。大好きだよ。パパもママも会いたいから怖がらないで。心から愛しているよ」と泣きながらくちゃくちゃの精いっぱいの笑顔を向けて、2人の指先から伝わりますようにと胸いっぱいの愛情をこめて赤ちゃんに話しかけました。 するとすぐ破水が。たった一晩きりでも小さなわが子と家族3人の時間を過ごすことができました。 出産について夫が書いた手紙です。 ~死産の時、妻は全く泣きませんでした。その日はお産が何件もあって破水が始まらず、誕生する赤ちゃんの泣き声と陣痛に苦しむ妊婦さんの絶叫が聞こえる中、妻は静かに陣痛に耐えていました。私は他のお母さんみたいに元気な赤ちゃんを産めないから、この痛みはダメな母の痛みだと言っていました。痛みに耐える妻は毅然としていて「最期に母としてできることは、可愛い赤ちゃんを産むことだけだから」と僕の手を握りながら繰り返していました。なぜなら僕たちの子どもは、生まれたらすぐに死亡届を役所に出さないといけません。翌日には赤ちゃんをすぐに火葬しなければならず、僕たち家族3人が一緒にいられる時間は、出産の瞬間とその後病室で過ごすわずかな時だけでほとんどありません。その限られた時間の中で、赤ちゃんを抱き見つめる妻は優しい笑顔でした。でもその時の妻の下半身は、残った胎盤を掻き出す処置のために血だらけでした。処置は激痛で妻の両足は痛みに耐えきれず小刻みに震えていて、助産師さんに押さえられていた事、男の僕にとって出産があまりに衝撃的で、妻が今まで何度も不妊治療の処置が痛いと言っていた事を聞き流していた自分を後悔しています。退院の際に明るくお礼をする姿は、まさしく母親でした。僕は妻を誇りに思います~。 そして夫は「生後すぐに親との別れを経験した養子の息子は行き場のない悲しみを抱えている。それをわかってあげられるのは死産を経験し、親子の別れがどれだけ人生を根こそぎ奪っていくものか『こころ』と『からだ』で体感した君だけだ」。 そんな私は、生母さんへの想いと共にあります。 生きて育つ子どもを産めなかった私と、産めるけど育てられないお母さん、お互いを支え合う尊い関係の中で、子どもの幸せな未来を皆で祈りながら人生の歩みを踏みしめていける。 死産を喪失体験だけではなく、希望への兆しと捉え直すことができました。   福岡県 志賀志穂さん 題名:つながっていく命 子どもへ伝えたい言葉:「あなたは確かに愛されて産まれてきた。血の繋がらない息子を本気で愛する覚悟は、あなたに宿る生母さんの命をも愛することだ。」

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