【ぐるっとママ横浜賞】志賀志穂さん「つながっていく命」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

【ぐるっとママ横浜賞】志賀志穂さん「つながっていく命」

『あなたは確かに愛されて産まれてきた。血の繋がらない息子を本気で愛する覚悟は、あなたに宿る生母さんの命をも愛することだ。』
 

私たちは血縁によらない特別養子縁組の家族です。
3歳の息子と一緒に賑やかに楽しく暮らしています!

夫婦で養子縁組の選択肢を考えた大きなきっかけが、出産の喪失体験でした。
出産が出会いでなく喪失?
不思議に思われたかもしれませんが、私の出産は赤ちゃんの産声が聞けない死産でした。

死産は普通のお産と一緒で、陣痛を起こし出産します。
違っている事は1つだけ。わが子は既に母のお腹で亡くなっています。
そんなわが子を取り上げて下さった医師が、養子縁組の民間あっせん団体の代表でもある院長先生でした。

私たち夫婦は出産数日前から先生のご配慮で、病院の案内地図には載ってない特別室に入院。
入院中に聞いた話は衝撃で「志賀さんの前の妊婦は高校生で、ここは訳ありの妊婦のための安全で守られた部屋なんだ」。
私は自分の出産数日前に、初めて特別養子縁組という制度を知る事になったのです。

いよいよ出産日。その日はお産が多く、隣の陣痛室からハッピーバースデーの歌と拍手が聞こえてきます。
ハッピーバースデーの歌を聴きながら陣痛の痛みに耐え、ぼんやりと考えていました。
「高校生の女の子は他人に託す我が子をどんな気持ちで産んだのだろうか」。
陣痛促進剤のMAX量を投与しても破水が始まらずいたたまれなくなって「命を守れず産むことすらできないダメな母親なの!」と先生へぶつけてしまうと、静かな声で言いました。

「親が先に心を決めないと赤ちゃんは産まれてこれないよ。親としてお腹の赤ちゃんに話しかけてみなさい」。

夫婦でお腹をさすりながら「ありがとう。大好きだよ。パパもママも会いたいから怖がらないで。心から愛しているよ」と泣きながらくちゃくちゃの精いっぱいの笑顔を向けて、2人の指先から伝わりますようにと胸いっぱいの愛情をこめて赤ちゃんに話しかけました。
するとすぐ破水が。たった一晩きりでも小さなわが子と家族3人の時間を過ごすことができました。

出産について夫が書いた手紙です。
~死産の時、妻は全く泣きませんでした。その日はお産が何件もあって破水が始まらず、誕生する赤ちゃんの泣き声と陣痛に苦しむ妊婦さんの絶叫が聞こえる中、妻は静かに陣痛に耐えていました。私は他のお母さんみたいに元気な赤ちゃんを産めないから、この痛みはダメな母の痛みだと言っていました。痛みに耐える妻は毅然としていて「最期に母としてできることは、可愛い赤ちゃんを産むことだけだから」と僕の手を握りながら繰り返していました。なぜなら僕たちの子どもは、生まれたらすぐに死亡届を役所に出さないといけません。翌日には赤ちゃんをすぐに火葬しなければならず、僕たち家族3人が一緒にいられる時間は、出産の瞬間とその後病室で過ごすわずかな時だけでほとんどありません。その限られた時間の中で、赤ちゃんを抱き見つめる妻は優しい笑顔でした。でもその時の妻の下半身は、残った胎盤を掻き出す処置のために血だらけでした。処置は激痛で妻の両足は痛みに耐えきれず小刻みに震えていて、助産師さんに押さえられていた事、男の僕にとって出産があまりに衝撃的で、妻が今まで何度も不妊治療の処置が痛いと言っていた事を聞き流していた自分を後悔しています。退院の際に明るくお礼をする姿は、まさしく母親でした。僕は妻を誇りに思います~。

そして夫は「生後すぐに親との別れを経験した養子の息子は行き場のない悲しみを抱えている。それをわかってあげられるのは死産を経験し、親子の別れがどれだけ人生を根こそぎ奪っていくものか『こころ』と『からだ』で体感した君だけだ」。

そんな私は、生母さんへの想いと共にあります。
生きて育つ子どもを産めなかった私と、産めるけど育てられないお母さん、お互いを支え合う尊い関係の中で、子どもの幸せな未来を皆で祈りながら人生の歩みを踏みしめていける。

死産を喪失体験だけではなく、希望への兆しと捉え直すことができました。

 

福岡県 志賀志穂さん
題名:つながっていく命
子どもへ伝えたい言葉:「あなたは確かに愛されて産まれてきた。血の繋がらない息子を本気で愛する覚悟は、あなたに宿る生母さんの命をも愛することだ。」