畠山文子さん「いつもママを勇気づけてくれるあなたたちへ」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

畠山文子さん「いつもママを勇気づけてくれるあなたたちへ」

『10年前のごめんなさいと、10年分のありがとう。』
 

結婚して3年経った頃、待ち望んだ赤ちゃんがようやく私のお腹にもやってきてくれました。

でも実は、妊娠がわかった時、喜びでいっぱいだったかといえばそうではありません。
妊娠を告げられた病院の帰り道、私はまるで迷子の子どものように人目もはばからず泣きじゃくっていました。

その時お腹の中にいた、そして今はとっても頼りにしている、愛しい愛しい双子の息子たち。
あなたたちが宿ってくれたことを、あの時心から喜べなくて本当にごめんなさい。
今からでもあの時の分まで、愛情をいっぱいいっぱい注がせてほしいと、そう願っています。

双子の二人を授かったのは、不妊治療の末でした。
苦労して授かったのにどうして泣くのと思われるかもしれませんが、当時の私はずいぶん疲れ切っていました。
治療はなかなか思うように進まず、少し進んでは振り出しに戻るの繰り返しでした。

希望と絶望の間を何度も行き来し、そのうち私は希望も期待も失っていました。
そんな時に「妊娠」の判定をもらい、望んでいたはずなのにパニック状態な私は、また振り出しに戻ってしまうんじゃないかという不安に襲われ、私の中に儚い命をふたつも抱えて10ヶ月も過ごすのかと考えると、怖さで逃げ出したい気持ちでした。
夫や母や姉たちに支えられながら、なんとかギリギリ気持ちを保っているような状態でした。

そんな悲観的で臆病な私とは裏腹に、お腹の二人は本当に元気に育ってくれました。
一卵性の双子はいわゆるハイリスクで様々なトラブルが予想されましたが、二人ともただひたすらにスクスクと育ってくれました。
妊娠6ヶ月くらいになると、「もうすぐね」と見知らぬおばあちゃんから度々声を掛けられるくらい、とても大きなお腹になりました。
緊急時のために早めに管理入院(双子ではよくある)させてほしいという私の願いも、順調すぎて入院させる理由が見つからないと、あっさりとドクターに断られるほど元気な赤ちゃんでした。
臆病な私にあれこれと考えさせる隙を作らないほど順調に時は過ぎていきました。

帝王切開による出産当日、手際よく手術の準備が進められ、あっという間に二人とご対面。
2600gと2500gという双子にしては大きな男の子!手術室に響く産声を聞いて私は、10ヶ月の間、緊張と不安でずっとこわばっていた全身の力が抜けていくのを感じました。
力強くおっぱいを飲む姿を見て、「強い生命力を感じるね」と看護師の方に言っていただきました。
胸に二人を抱いて私も、溢れるエネルギーを感じずにはいられませんでした。
そしてこの手で必ずこの命を守りたいと、何度も強く抱きしめました。
「もう絶対に失いたくない。」それまでのように失うことを恐れるのではなく、強い覚悟に変わった瞬間だったように思います。

今、あらためて思えば、不妊治療の経験に関わらず、全てのお母さんにそれぞれの事情があり、お腹の赤ちゃんを思っては不安になり、それでもなんとか希望を持って出産の日を迎えているのではないでしょうか。
そんなお母さんたちのことを、お腹の赤ちゃんはよくわかってくれているんだと思います。

我が家の場合、弱音を吐かせたら天下一品、落ち込むのが得意な私の性格を知って、泣きじゃくったあの病院の帰り道からずっと、余計な心配はさせないようにと精一杯の元気な赤ちゃんで居続けてくれたんだと思っています。

もうすぐ10歳になろうとしている二人。
私が少しでも元気がない様子を見せると「ママ大丈夫?」とすぐに声をかけてくれる長男。
あえていつも通り明るく振る舞ってくれる次男。

10年経っても相変わらずなママでごめんね。
二人を見習ってもう少し強くなるね。

そして10年前も今も、そんなママをいつも勇気づけてくれて本当にありがとう!
もうすっかり少年で抱っこもできないけれど、命を賭けて守りたい気持ちは変わりません。愛しているよ!

 

神奈川県 畠山文子さん
題名:いつもママを勇気づけてくれるあなたたちへ
子どもへ伝えたい言葉:「10年前のごめんなさいと、10年分のありがとう。」