のぐちちえみさん「シローへ」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

のぐちちえみさん「シローへ」

『あなたがママのお腹の中にいた頃、パパがつけてくれたシローという胎児ネームがあったのよ。何度もシローと呼んでいたんだけど、覚えているかな?』


覚えているかな?
あなたがお腹の中にいた頃、パパとママはあなたのこと、シローと呼んでいたのよ。
なぜ、シローって呼んでいたかって?
それはママが大事な人たちからいただいたクマのぬいぐるみが3体ベッドにあって、パパが勝手にタロー、ジロー、サブローと名付けたことにあやかってあなたのことをシローと呼んでいたの(笑)

ママは、大きめの子宮筋腫があって、自然妊娠はなかなか難しいかもしれないと言われたにも関わらず、そんなママのところに、シローはコウノトリさんに乗ってきてくれたね。
妊娠がわかって、とても喜んだあの日のこと、今でもよく覚えるよ。

シローはママのお腹の中ですくすくと育ち、いつも体重オーバーで産婦人科の先生から注意されていたね。
ママはあんまり気にしていなかったけど(笑)

妊娠中は、アクティブ妊婦で、シローとママとパパの3人でいろんなところに行ったね。
アクティブすぎて、里帰り先の福岡の産院で、子宮口が柔らかくなっているから、安静に!と言われてしまったね。
実家で横になって、ひたすらテレビを見る毎日を過ごしていると、子宮口も戻り、普通の生活をして大丈夫になったときは、安心したよ。

しかし、ママは、福岡は地元ではないから、両親と妹家族しか知り合いがいないし、福岡と言っても、古賀市という田舎。(古賀市の方々申し訳ありません)
出かけるところもなく、ダラダラする日々を過ごしていたら、今度は子宮口が硬すぎるから動くようにとお達しが出ちゃったよね。
暑い中、実家近くのイオンまで散歩して、蜂がいたー!逃げろー!ってシローをかかえて走って逃げたり、汗だくの中イオンに到着して、スターバックスでフラペチーノを飲んで休憩した日々、とても懐かしいね。

歩けど歩けど、シローがお腹から出てくる気配がなく、気づけば予定日の8月9日まであと数日。
シローの推定体重も4000gを越えていたから、8月7日に促進剤を打つことになったよね。

8月7日の朝は、ルンルンでおばあちゃんと病院に行き、満面の笑みで写真撮ったの覚えているかな?
おじいちゃんもおばあちゃんも仕事だったから、ママはシローと2人で、バースプランに書いた嵐の曲を聴きながら、シローのタイミングを待っていたよね。

お昼ご飯の後から、急にお腹が痛くなり、すぐに激痛…これ、どれくらいまで耐えればいいの?いつ助産師さんを呼べばいいの?とママは不安でいっぱいだったよ。
きっとシローもママと一緒にお腹の中で闘っていたよね?
ママは我慢強い性格だから、痛みに耐えて耐えて耐え抜いていたら、助産師さんが様子を見にきてくれた頃には子宮口が開いていたよね。

シローがお腹から出てくる前に、おばあちゃんとおばちゃんとにいに(シローのいとこ)がかけつけてくれて、みんなでシローの誕生を待っていたね。
ママがお腹の痛みと闘っているときに、にいにが「赤ちゃんはどこから産まれるの?」と質問してきて、「足!足!」と答えたこと、思い出すと笑っちゃうよね。
そうこうしているうちに、シローもママに会いにお腹の外に出てきてくれたね。

体重は3846gと4000gは超えていなかったけど、パパが横浜から来るまで名前をつけなかったのもあって、助産師さんたちの間では、ビッグベビーちゃんと呼ばれていたね。

今では、シローと呼ぶことはなくなったけど、シローはパパがつけてくれた大事な胎児ネーム。
あなたがもう少し大きくなったら、シローと呼んでいたんだよと伝えるね。

 

神奈川県 のぐちちえみさん 
題名:シローへ
子どもへ伝えたい言葉:「あなたがママのお腹の中にいた頃、パパがつけてくれたシローという胎児ネームがあったのよ。何度もシローと呼んでいたんだけど、覚えているかな?」