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シーサイドFMで衆議院議員野田聖子さんに子育てについて聴きました。

2023.09.02


横浜市金沢区を本拠地にしているシーサイドFMでぐるっとママは月一回ゲストをお招きして子育てママパパに役立つ情報をお届けしています。
今回はぐるっとママ懸賞作文「私の出産」の審査委員長の衆議院議員 野田聖子先生に電話で生出演して頂きました。
先生のリクエスト「世界に一つだけの花」からスタートしました。
いい歌ですね。
そうさ 僕らも世界に一つだけの花
一人一人違うタネを持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


今日は先生に政治の話ではなく、プライベートなお話を伺います。
野田先生は妊娠が出来ないという事がわかり、ご主人の精子を持って渡米され、卵子提供を受けて妊娠されました。その事について伺いました。

出産についてはうちの夫の方が熱心だった。夫に子供出来ないよっていったら、乳児院とかで乳児院を回ったがおばさんだからダメ。子どもが参観日には自覚から共働きだからダメ
ダメ出しされて諸外国では卵子提供があることがわかる。
たまたま私に時間が取れる時期があり、今だったら渡米できるという事で受け身だったけれど、夫の為にとは思わず、そういうチャレンジが出来るんだな~という事で
13年前にアメリカに行き、卵子提供を受け、妊娠した。

出産までの話
胎児の食道と胃が分離していて羊水が呑めなかったのでどんどん溜まって行ってしまい、双子分くらいの量の羊水になってしまった
お腹の子が障害を持っていると分かった時の気持ちは

私は妊娠が出来なかったが、アメリカ人の女性のお陰で妊娠することが出来て出来た。目の前にたまたまパーツがくるっていたというか、すぐ見てわかる障害児でも愛おしかった。
わたしの望んでいたパートナーが目の前にいる。諦めることはそもそもおかしなこと。
障害を持っていると聞いたのでガイドラインを見ながら、その日を迎えようと思っていたけれど、夫はショックだったらしくてご主人と相談してくださいと言われた。それは中絶するかどうかで目を合わせなかった。次の検診迄。彼の気持ちもわかるから話をすることを避けていた。

出産されてからの事
まさきさんは何度も手術を受けました
これまで三途の川を3回わたりそうになった。
最初出産のとき
帝王切開だった。医師から野田さん、看取り産って知ってますか?と聞かれた。看取り産とは「そのような子はお腹にいるときはママの力で生きるんだけれど、中から出したとき、自力で呼吸をしなければならない時に力不足で天に召されるときがある。そんな時はママが抱っこしてあげて看取る事を看取り産と言うんだよ」出産前にこのように言われたから、困った。それが前提だったから生まれただけで仮死だったが産声もほとんどなくても生きているんだという、先生がテンションを下げていてくれたおかげでうれしかったです。生まれてすぐ人工呼吸器に繋がれるんです。

二回目は病院で起きてしまった。心臓の弱い子はそうなんですけど、問題を起こして緊急手術をするんですが、血栓が脳に行ってしまい、脳梗塞。緊急手術でしたがその時も夫が付き添ってくれた。私は仕事が入っていたので夫に言ったら「僕がいるから、あなたは仕事を続けてください」
凄い腹が座っている人だなって「仕事をするのが本意でしょ」と。




3度目が我が家
万全の体制で退院したが、病院と家では違っていて空気が乾燥しているんですね。息子の人工呼吸器のジョイント、そこの管が乾燥して固まってしまった。
ノリをずっと開けておくと固まるでしょう。あんな感じです。それで窒息したんです。それが2歳半の時。退院してすぐの事でした。百戦錬磨と言われている国会議員ですが、一番大切な人が死に行くというのは試練だった。逆にシンプルに死ぬために生きているんだという事を教えてくれた。
一日一日を無駄にしないという事

まさきさんのお陰で障がい者に寄り添う政治がわかったとは?どのようなところが違うのか?

教育も受けさせてやるという、障がい者は教育委員会に行って入学の許可をもらうように自分の意思では決められない。うちの子は普通の子なんですが、優秀な子で障害があるというだけで彼ら彼女らの可能性をつぶされている事が胸に痛む。ちょっとの事で行けるべきところに行けない子をたくさん見てしまったのがこの国のキャパというか

冒頭の歌にあるように多様性というけれど、みんなバラバラなんです。多様性という言葉自体が嘘くさくて男性女性ジェンダーと分けるけれど、多様性という言葉がそれぞれみんな違うじゃないですか。多様性という言葉がカテゴリーをつくっているのではないだろうかと思っている。
■覚悟を持ってお仕事をされている姿と子育てもされていますね。

■いかに楽に生きれるかと人様にお願いする労力をいとわない人間なんです。ママ達にないのはそこなの。一人で頑張るから嫌になっちゃうんでとにかく頼むという事はハードルが高いかもしれないが、それが出来るスキルを持った女性を増やしたい。

■夫に頼むってなかなかできない人が多いと思いますが?

■みんなそこで一番近い人に言わない。夫はやらなきゃね。我が家の社会実験ですが、夫が育てた方が子どもにとってはいいかも。母親は自分の肉を犠牲にして産むじゃから熱い気持ちになるけれど、夫は痛い目に合わずに親になっているから、子どもとの不条理な日々を送ることで子どもにとってはバランスのとれた子育てになる。
■女性は感情的になるけれど、男性は理性的
■いや、うちの夫は子どもがワーワーやっているとぶわーっと怒っていますよ。ママは近いから感情的に見えるけれど、お父さんがやったらおんなじだけ感情的になる。腹が立つ。何で行ったことが出来ないんだろう。そういうのは男女関係ないです。そういう状態でも国のトップとして仕事をしている

■夫に頼むのは嫌だ、夫に頼むくらいだったら自分でやった方が良いと思ってしまう

■それが負荷になっちゃう。大臣何回かやったけど、子ども育てるよりはるかに大変だから。そのようにみんなで思ってあげるべきですよね。大臣だったら、私がコロナになったら副大臣がやってくれるとか、
仕事大変だねと言ってくれるけれど、むしろ母親には副ママとか、ママ政務官とかはいないから当たり前の現実を・・なるべくさぼるようにしているんです。
この間子連れ旅行でいろいろ言われたけれど、子連れというのが私たち女性のハンディになっている事も知ってもらうには良い機会だった。私自身も息子が障害を持っているので何日もあけられないので中々出張に行けないけれど、どうしていかなければならない時はむすこと人工呼吸器と夫で一緒に行くんです。健常な子どもでもママがミルっという事になっているんでキャリアのチャンスを失ってきた
私は世論にあらがうのではなく、自然にできるんだなというサンプルを作っていきたい。シャイな夫の尻を叩いて出張に連れて行っている。

■どうしたら夫を巻込めるか?
■そうではなくていろいろ言われても気にしないってことです。ママだからやらなくちゃという気持ちを外してママは半分くらいでいいんだとこれだけ頑張って産んだんだからと。色んな専門家がいるんで。ママが妊娠したらいきなり専門家ではない。ママ自身のこだわりをなくすことが大切。まじめであることが多くのママを苦しめている。母としてこうあらねばならない
いいお母さんになろう、良妻賢母になろう
いいママって多少抜けていても子どもにいつもにこにこしている余裕のあるママなんじゃないかなって。



■昨年の懸賞作文を読まれての感想を教えてください
■一人一人が前向き 
今は妊娠・結婚・子育てが恐怖のイメージが多い。 
そうではないんだよという喜びをあらわす不安だけど不安に勝るよろこび。
お産の事実を知ってもらうことの大切さ、大変だけれど大変よりも良いことがある。


■ママに伝えたい事
ママとして、子どもを生むからママと言われるんだけれどもそれぞれが違うから、大切なことは子どもにとって一番素敵なママは余裕があること。笑顔つくり。パパでもいいし、赤の他人でもいいと思ってる。シングルで育てている人もいるから。自分が100%やることがママ業ではない。セイフティネットがあるんだな。お互い、たたえ合う支えあう慰めあうことが出来る社会なんだなと波紋のように広がっていけばいいな。作文で拡がっていけばいいなと
自分たちがかたくなになってしまうと勇気を持って楽しんでほしい。自分の子だから託すのが不安だというのがあるけれど、一人では無理よというスタンスは大切。
人の力を借りる事。

■力を入れている事
人口減少が子どもが生まれないというだけでなく、歴史を紡いでいく大事な事だから女の人ばかりに任せないでというそういうアピールを男性の多い職場でしています。
夫とは正輝を守る戦友みたいなもので一人では背負いきれない命だからあんたもやってよと言うくらいの関係を。ママの方が強いんだから
ご主人との関係で大切にしている事、気を使っている事?
私が気を使ってます。仕事で疲れたとは言いません。好きでやっているんでしょって言われちゃう


■心掛けている事は?
私はぼーっとしている方なんだけれど、いるだけで面白いって言われているのでそれでいいかなと
色んな正義があって私がこうやって頑張れるのは正木という守るべき人がいるからで子どもがいるから思った以上に強くなれる。
海と空のおうち 子どもホスピスについて
子どもホスピスは私のテーマでそれは国費が入ってなくてみんなの努力だけでやっているんだけれど、国が責任を持って命の  そういう事って本当に日本の政治から置き去りにされていてこども庁を作りたかったのは四六時中、子どもの議論が出来る国にしたいなと思って
頑張りすぎず上手にゆらゆらと生きてください。